オヤジは阪神淡路大震災の年に
亡くなった。
直接の被災ではないが
医療の計器不良が原因で
眠る様に息を引き取っていた。
大勢の方が一斉に亡くなられたので
葬儀場や斎場が満杯になり、
遺体を荼毘に付す事さえ
簡単にはできなかった為
とりあえず遺体の隅々に
一週間分のドライアイスを施し
急場をしのいだ。
さすがに遺体も三日目になると
体液の独特な匂いを発したが
幸い四日目に斎場の予約が取れ、
一気に葬儀の日取りを決めた。
弔問には
親戚一同が訪れたが
中でも印象的だったのは
地震で被災した叔父さんが
神戸の自宅から
歩いて大阪まで来てくれた事。
伸びた顎髭と髪、汚れたジャージが
一心不乱に歩き続けた証だった。
葬儀も終わり
一行は斎場へ向かった。
母はお棺の前で
ただ呆然と
献花に埋もれた
オヤジを見つめていた。
荼毘に付された遺骨は
まだ少し熱を帯びていて
明らかに太くて白い
大腿骨が印象的だったが
それを挟んで
骨壺に入れようとしたら
思いのほか脆く
箸からこぼれ落ちた。
それだけで
何故か泣けてきた。
昭和一桁の亭主関白だったオヤジは
家事一切を母に委ね
気晴らしさえも許さず
家庭を守ることを強いた。
しかし、
オヤジが亡くなり自由になった母は
週2日のデイサービスと
墓参りが健康の為の日課となり、
以後、それが30年余り続いたが
四季の夕焼けを浴びる地元の山麓で、
2人は同じ墓標に名を連ねる事となった。
母、享年91。
私は何をしてあげれただろうと
いつも自分を責める。
