昨日、いいね履歴を見ると
feuilleさんが過去のこのブログに
足跡を残してくれた。
きっと、濃い大阪弁
興味があったに違いない。


昨今、
バラエティー番組の影響で
濃い大阪弁は標準語のオカズにされ
そのインパクトは薄れつつある。
その昔濃い大阪弁を操る
きっちゃんと出会った
思い出のブログをリメイクした。


大阪の中でも
河内(かわち)地方と呼ばれる
柏原市、八尾市や東大阪市などがある。
言葉遣いが少々荒いと言われ
車両通行のいざこざでは
如実にその言葉が出る。

われ!しばきまわすぞ!
でてこんかぃ!

私の高校は東大阪市にあった。
多くの級友は前記の出身が多く
濃い大阪弁ワールドの3年間だった。
言葉やとっつきが悪いが
ひとたび懐に入ると
照れ屋で人情味溢れる性格が
見えてくる。
きっちゃんもその1人。
見た目はあちら風で
オレオレで肩で風切って、
笑うとケンカで無くした前歯が
おかしかった。
私は入学式の時
彼をおくびもなく笑ってしまった為
シバかれると思った予想は一転して
友好的な関係となる。
後から聞くと
その高圧的態度で
誰もがビビったその姿に
いきなり笑うという不思議なヤツが
妙に気になったと言っていた。
その後きっちゃん
愉快で、優しく、おせっかいな
私の親友用心棒だった。

真夏に冷房を最大限に効かせ
冬布団で昼寝をするのが好きな彼は
柿落としをカキオトシと読み、
一日一善を1日1回のメシの日と言う。
また、求人の若干名
ワカイヒトセンメイ
と読んで私を笑わせた。
そして、彼の知識の上書きをしたのは
親友先生の私だった。

彼は私に
河内のオッサンの唄
というシングルレコードを
教えてくれた。


1976年、80万枚という
記録的なセールスを
叩き出したこのシングルは
コッテコテの関西弁を使い
ガラが悪いと世間のひんしゅくを買った。
というのも、
この唄は関西弁の中でも
河内(かわち)地方のイントネーションと
強いアクセントで構成されており
大阪弁の私達も
おちゃらけで使う語彙が面白く
それがヒットに繋がったと考えている。

きっちゃんの家に行っては
家具のような音響装置の前で
“河内の~”を二人で何度も合唱した。
のちに
伝説番組ダウンタウン司会の
“Hey Hey Hey Music CHAMP”
の第1回ゲストで登場した記憶がある。


当時の音楽業界では
こんなレコードは売れない
酷評をされ見放されたが
意に反しての大ヒットとなった。
歌い手であるミス花子(男性)
現在行方不明と聞いた。

どこいったんど、ワレ!