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日常からいちまいめくれた短いお話

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ダイビング後はシャワーを浴びて、インストラクターとそのガールフレンドと食事に出かけた。

 

旅行者1人では乗れないようなジプニーに一緒に乗り、

綺麗なニューハーフと青年のファイヤーダンスを見ながら、サンミゲルを飲んだ。

席が隣り合ったイギリスから来たという夫婦とも乾杯し、

サクサクの烏賊のフライや、甘辛いチキンのバーベキューを食べ、

酸味で元気が出るシニガンスープを飲んだ。

 

ダイビングのガイドは35歳で、ガールフレンドは17歳だという。
ニューハーフショーのオーナーはマダムの格好をした男性で、

エビのグリルを取り分けてくれながら、ファイヤーダンスの青年は彼女(彼)の息子だと言っていた。

彼女は、私が旅には一人で来たというと驚いていた。

 

そういえば、往路の機内で隣り合った女の子は21歳で、16歳で結婚・出産し、離婚し、
母の出身地であるこの島にひとりで留学している、と眩しい笑顔で言っていた。

日本にいる親戚に会って、島に戻る所なのだと。

 

色々な人がいて、それぞれの人生を生きて、あるポイントで時に出会い、一緒に飲んだり言葉を交わしたり。
私は旅で、固まっていた世界からちょっと外を覗いてみたり、やわらかくほぐしたりしているのかもしれない。

 

常識とは 18歳までに積み上げられた 偏見の事であるらしいし、

私にとっては一人旅に出ることより

この島の人たちのバラエティに富んだ選択肢の方が驚くところなのだけれど、

不思議とすんなりと、そうなんだ、と思える。

 

無意識のそうあるべき、というものに捕らわれすぎていたのかな。

 

 

 

夜は、満月。

 

ホテルの別館のルーフトップのチェアに身体を沈める。
目の前の海が引いており、ボートの船底が砂地にさらされている。

 

火照った身体を風が撫ぜていく。

 

近隣のホテルの海上レストランの淡い光、
町中から聞こえる歓声と熱気、
どこまでも静かな海と空、
見知らぬ土地へ自由に行き、何でもできる自由。

 

東京にあるものがなくて、東京にないものがある。

 

 

椰子の葉が風に吹かれて、囁くように話しかけてくる。

巨大な鳥のように。

 

お前は何者か


何者でも、ないし

何も持っていない。

 

からっぽの自分で、

それでいて、すべて必要なものはある、気がする。

 

便利で清潔なマンションの一室と高層ビルの森との間で、

多くのものや人に囲まれながら、

わたしは不安で孤独だった。

 

自分には何もできないような気がして、

それを忘れるように仕事をして、映画や友人との約束で時間を埋め、
自分の不安さや勇敢さを見て見ぬふりをしてきた。
 
それに疲れて、
疲れることにも慣れ、
身体は膜に覆われた。
 
「わたしは何処にでもいけるし、何でもできる」
 
椰子の鳥は、大きな葉の嘴でゆっくりと頷く。
 
熱い涙が頬を伝って、風に乗って流されていく。
 
 
視界の端でちらりと何かが横切る。
 
夜空から星がスコールのように降ってきた。