大統領 | ジュニマネ回想記

大統領

 

私の前夫は黒人だったので、

彼の祖先はおそらくアフリカから

奴隷としてアメリカに売られて来て

過酷な人生を送った人々なのだろうと思う。

 

彼の両親は、彼がまだ幼い頃離婚して

父親はもう行方もわからなかったので、

私が紹介されたのは彼の母方の家族と

再婚相手のジョージだけだった。

 

母方の祖父母は、普段からとてもきちんとしていて、

孫の家族に会いに来るのにもスーツ着用だった。

 

彼らはワシントンDC郊外のバージニア州の

広い敷地内のこぎれいな一戸建ての

赤いレンガの家に住むミドルクラスで

大多数が貧困に苦しむアメリカの黒人の中では、

地味だけれど豊かな暮らしをしていた方だと思う。

 

寡黙な祖父は機械のエンジニアで、

すでにリタイアしていたけれども

家の周りのものは自分の手で作ったり直したりした。

 

働き者の祖母は庭で野菜を育て、

収穫すると瓶詰めにして保存し、

全粒パンをたくさん焼いて冷凍保存し、

家族が集まる時にはその食材を使って料理をした。

 

サンクスギビングにはターキーとスタッフィングの他に

瓶詰めグリーンビーンズのキャセロール、

バターが2本以上入っていた甘いヤム芋、

野菜とゼラチンを型に入れて作ったサラダ、

温めた全粒パンにバターをたっぷりつけたもの、

バニラアイスを添えたアップルパイとパンプキンパイ、

そして砂糖とミントがいっぱい入ったアイスミントティー。

 

朝食にはグリッツとスクランブルエッグと

全粒パンのトースト。

 

すでにベジタリアンだった私は、

肉も卵も食べなかったけれど、

ヤム芋はおいしかったのでレシピを教えてもらって

バターの多さに愕然としたのを覚えている。

そしてグリッツは、今でも時々食べたくなる。

 

1980年代のアメリカでは、お母さんが弁護士で

お父さんが医者という裕福な黒人家庭を描いた

テレビドラマ「コズビーショー」が大人気で、

マイケル・ジャクソンやプリンスがスーパースターで、

黒人だけでなく白人にも大ファンが多かったので、

実際にDC郊外の白人タウンに行くまでは、

「人種差別」というのはもうほとんど存在しないものだと

私は勝手に思い込んでいた。

 

前夫はいわゆる「白人学校」に通い、

いつも白人の友達と遊んでいたけれど、

一番仲良かった親友のバースデーパーティーに

自分ひとりだけが招かれなかった時、

「ママが黒人は呼んじゃダメだって言うんだ」と

親友に告げられ、「人種差別」の痛みを

幼心に初めて知ったと言っていた。

 

8年前、初の黒人大統領が選出された時、

アメリカ中の有色人種が明るい未来を予感し、

これからすべてが変わって行くような気がした。

 

でもそれと同時に、一部の白人至上主義者たちが

どれほど憤慨し、反対しているかを聞いて

何かとても暗くて冷たいものを感じた。

 

おそらくオバマ大統領の8年間は、

そんな暗くて冷たいものと闘う日々だっただろう。

彼や多くの人々が思い描いていた未来へは、

まったく近づけなかったのかもしれない。

 

最初から「すべてに反対する」と宣言していた共和党の

強い圧力でなかなか前に進むこともできず、

有色人種の中にも、初の黒人大統領の消極さに

がっかりした人が多かったとも聞いた。

 

それでもオバマ大統領が残したレガシーには、

たくさんの人々が感謝している。

 

どれほど多くの白人至上主義者たちが

オバマ大統領を陥れようと暗躍しても、

スキャンダルをひとつも見つけられなかったこと。

「やっぱり黒人はダメだ」と容易には言わせなかった

人格と教養の高さ。

 

これから億万長者の白人男性たちが政権を握り、

アメリカはどれほど歴史を逆行するのかと

ナーバスになっている人の声がニュースで流れる。

 

でも、不安要素にフォーカスしてはいけないと思う。

 

アメリカが人種差別大国に逆行しないためには、

ひとりひとりが人格と教養を高めて行くこと、

そして、心を正して行くことが必要なのだろう。

 

前夫の祖父母が真面目に一生懸命働き、

子供たちを厳しく躾け、しっかりと教育を与え、

アメリカ社会の底辺に落ちないよう頑張ったように、

日系の先人たちがハワイで活躍してきたように、

 

希望にフォーカスして行こう。

 

いつかまた黒人大統領や、

もしかしたら日系大統領や、

女性大統領が誕生する日もきっと来る。