ご訪問
ありがとうございます
23日、呼吸器のドクターが先日のCTの結果を画像を見せながら詳しく説明してくれました。
看護師長さんも同席しています。
結論から言うと・・・
私には来年はない・・・
この時、これ以上の余命についての話はしなかったけれど、
翌日、乳腺のドクターとは掘り下げて話をしました。
ブログが長くなりますが、後半で書きます。
急転直下
退院へ向けて前向きにリハビリも頑張っていて、体力、筋力も付けて元気になっていく途中なのにどうして
そう思われるブロ友さんも多いと思います。
少し前までは、呼吸器のドクターもきっとそう思っていただろうし、私もそのつもりでした。
肺だけの事であれば・・・。
でも・・・私の体の中の乳がんが、肝臓以外の場所でも、いよいよ暴れ始めてるみたい。
呼吸器のドクターはいつも「Herbさんはどうしたい?」とい聞いてくれるけれど、
今回ばかりは、ドクターの考えを先に伝えられました。
内容はこんな感じです。
一般的には抗がん剤を使用するのだけれど、
抗がん剤は、癌細胞だけではなく、健康な細胞をも叩いてしまうので、
今の私にはそれに耐えられる体力はなく、
むしろ有意義な時間が短くってしまう。
私の為にも、自宅へ戻って有意義な時間を過ごした方が良い・・・と。
2つ前のブログでも少し書きましたが、
1月と3月のCT画像と比較して、やはり増悪のスピードがかなり早いみたいです。
肝臓に関して言うと、
1.8cmだった腫瘍が、この2ヶ月間で大きくなってきているとの、新たな2つの腫瘍も写っていました。
画像に写るだけでも大きくなったり増えているので、
きっとマイクロレベルではもっともっと沢山あるのでしょう。
見つかっていた腫瘍そのものは乳がん由来の再発転移という仮定だけれど、
腫瘍以外にも、肝臓全体の形がモコモコしていて、
乳がんからの転移ではなく、肝臓独自の癌と言えなくもないとの事。
けれど、マイクロレベルの腫瘍の勢いが涌き出る様にもの凄く、結果、画像的にモコモコ見えているのかもしれないとの話。
本来なら確実にするには、血栓予防の薬を止め、全身麻酔で細胞を採取しないと分かりません。
既に血栓もあるし、大きなリスクを伴う検査をしてそれが判明したところで、抗がん剤治療が出来る体力もないのだから、
リスクを冒してまで検査をしても、元気な時間を奪うだけで、ある意味無駄な検査となってしまう訳です。
肝臓の他には、腹部の中心部分。
その周辺のリンパや内臓も腫れて、癌が悪さしている様に写っています。
他には、元々の全摘した左とは反対の右脇の下と胴体。
私自身が気付いたのはほんの数日前なのに、リンパ節が腫れているのが4つ。
翌日、乳腺のドクターにも触診して貰ったら、やはりリンパの腫れで、画像にも写っているとの事でした。
そして翌日24日。
乳腺のドクターとも話をしました。
勿論、呼吸器のドクターとの連携も密なので、私の全体の事も全て把握しています。
前日に呼吸器のドクターから聞いた話を、私がどの様に解釈しているかも確かめたいとの事で、どのように聞いていますかと、最初に私の話をじっくり聞いてくれました。
私も呼吸器のドクターの話を聞いた時はあまり動揺はしてなくて、「ついにこの時が来たかぁ~。思っていたより早かったけれど。」と冷静のつもりではあったけれど、
夜はグルグルと頭を巡って寝られなかったので、動揺はするんだというのが実感。
けれど、一晩過ぎ、少しずつ現実を咀嚼(そしゃく)し、やはり冷静になって来ます。
乳腺外科のドクターは、乳腺も少し診ているけれど、主に緩和ケアのドクターで、とても穏やかな私と同年代な女医さんです。
私が転院前のがん専門病院では、かつての主治医であったDr .ダンディと乳腺外科医として一緒に働いていた事もあるそうです。
私のブログをずっと読んで下さっている方も、Dr .ダンディの事は懐かしく思って貰えるかな
Dr .ダンディも、今のここの病院のトップである薬剤師さん(勝手にSuper薬剤師さんと呼んでました )に「Herb さんの事を頼むね。」と直で電話をくれた、優しいドクターでした。
色々な経緯は、かつてのブログに書いていますので、今は省略。
Super薬剤師さんという呼び方も懐かしいでしょ。
今は同じ病院なので、忙しい間をぬって何度も会いに来てくれてましたよ。
そして、本題の余命です。
やはり十人十色で、色々な人がいるそうです。
- 聞きたい人
- 聞きたくない人
- 聞きたくて大丈夫と思っていても聞くと動揺する人
- 聞いても本当に大丈夫な人
- 聞いてまだ時間があると思ってのんびりしたいたら、体調崩れるのが予想より早く、やり残した事が沢山あって後悔する人
今までの私なら、自分の病気な事は何でも知りたいタイプだったので、
てっきり余命も聞きたいかと思っていたけれど、
いざその時になると、「う~ん、どうしよう。来年はないと聞いてはいますが、でも全く知らないのも困るし・・・。」
そう答えていました。
私の叔母は大腸がんで70歳で他界しているのですが、
癌が見つかった時には既に余命半年でした。
その間に、色々な手続き、自分の物の整理等、急いでやるべき事をテキパキと片付け(高校の教師でした)、最期は自宅で過ごし、親戚何人かに看取られました。
私もその一人で、お見舞いした日にたまたま泊まりたくなり、叔母を看取る事が出来ました。
そんな叔母は、後半ではどんどん動けなくなり、トイレへも歩けなくなり、どんどん食べられなくなり、
自分でも急激な悪化していく姿にはとても驚いたみたいです。
何年も闘病していたのでもなく、受診して、いきなり余命半年と言われたのですから、
完全に心構えも出来なかったのかもしれない。
そんな話もしました。
それを聞いて、ドクターも私にはもう少し詳しく話した方が良いと思ったのでしょうか。
ドクターは、この画像的に見る一般的な状態だと、余命は半年前後と言われています。
それより短くなる事もあるし、長くなる事もあります。
けれど、私の場合この2ヶ月での悪化のスピードがとても早い・・・と。
ここからドクターとのやり取りした会話で書きます。
Herb さんはリスクは伴いますが、治療はしたいですか
いいえ、もう苦しいのは嫌です。
Herbさんの今一番したい事は何ですか
家族と一緒に美味しい物を食べ、家族で過ごす事です。
7月に私の誕生日があるので、一緒にお祝いしたいですね。
では、それを目標にしませんか?
10月には結婚記念日があり、11月には夫の誕生日もあります。
イベントが沢山あって良いですね!
一つ目標を達成したら、次の目標をまた達成していきましょうよ。
私、気持ちって大事だと思っているんです。
余命って確実じゃないし、確かにそれよりも短い人もいるし、長い人もいます。
目標に向けての気持ちって、やはり大事なんじゃないかと、本当に思うんですよね。
緩和ケアのドクターなので、体調悪化した時には、緩和ケア病棟に入院したい気持ちも話しました。
緩和ケアは、積極的な治療はしない人が入院する病棟ですが、
一度入院したらもう家へ帰れない、そういう人ばかりの場所ではありません。
行ったり来たりも可能です。
急に人工呼吸器が必要になれば、呼吸器の専門ではないので、
その時はここの階の呼吸器病棟になりますけれど。
酸素は皆さん吸ってますが、ここよりもっとゆったりと過ごせると思います。
一緒に説明したり見学も可能ですが、旦那さんに説明した後に直ぐに緩和ケア病棟の話をするのも、旦那さんもびっくりすると思うので、旦那さんには特に私からは話さないつもりです。
少ししたら私から話そうと思います。
薬について聞き残した事も聞いてみました。
ゼローダ、T S - 1はどんな感じの薬ですか
それぞれの副作用も教えてくれましたが、
どちらにしても怖いのは、薬剤性の肺炎で、このリスクが伴う薬なので、私はHerbさんに 使う選択肢は元々なかったです。
《腫瘍マーカー》
2018年に癌が見つかり、原発巣がある時から、たったの一度も基準値を越えた事がない私の乳がん。
血液検査では定期的に入っているCEAとCA15-3の項目ですが、
ずっと腫瘍マーカーに反応しないタイプと言われて来ました。
今回も1月に既に肝臓に腫瘍が見つかっていても、2つとも基準値内。
CEA→3.2
CA15-3→12.9
それが、3月には
CEA→80.3(H)
CA15-3→15.9
前にいよいよ癌細胞が暴れだした時には、流石に上昇するだろうという話は、前にドクターともした気がしますが、今回、そうなりました。
《ドクターから夫への説明》
25日、夫がドクターから説明を受ける為に来院。
2日前に、私が夫にLINEで日時を知らせ、「なかなか難しい状況だよ」とは言ってあったのですが、
仕事中の夫は、「仕事が手につかない気がする」と返事をくれて、
でも私も嘘になるから、「大丈夫だよ」とは返信出来ず、「仕事、ミスしないでよ~。」と送ったのでした。
夫がドクター達の話を聞いた後、特別に面会許可されると、夫は項垂れていました。
何度もため息もしていて、本当に首が落ちそうだった。
私は話を聞いて2日経って咀嚼出来ていたので大丈夫で、
先ず私が夫に掛けた言葉は「大丈夫?」でした。
話を聞いて直ぐに私との面会だったので、夫が気持ちを落ち着かせたり、整理したりする時間もなくて可哀想。
余命の話を聞いたかどうかを聞くと、
乳腺のドクターが、
私が7月の誕生日を目標にしましょう!と話をしたので・・・と言う事を話してくれたとの事。
夫には伝えてはいるのかと思っていたけれど、ドクターは私の気持ちを優先してくれたのですね。
先生、ありがとう
《退院に向けてへの動き》
多分、来週中頃、急に退院する方へ動いています。
今、退院しないと、もうタイミングを逃してしまうだろう。
今まではベッドの上の壁に付いていた酸素から管が延びていたけれど、
家に持ち帰る酸素の器械に変更されました。
痰の吸引も持ち帰る(訪問看護のを無料貸出ししてくれる)コンパクトなものでの実践に切り替えました。
まだどちらも慣れませんが、少し使い慣れてから帰宅しないとね。
酸素に関しては、本来ならその勉強の為に一週間、勉強入院するそうですが、
一週間以内に退院すると思うので、この数日中にDVD 観たり、読まないといけない資料や、その他勉強しないといけないのが結構あります。
酸素は一番大切なのでね。
そして、65歳以下で条件的に対象になっていなかった私も、乳がんで余命を書き込んで貰える段階になりました。
ソーシャルワーカーさんが代行して手続きもしてくれます。
でも、さしあたっての退院時のベッドや、トイレの手すりには間に合わなくて使えず、今後、何かサービスを受ける時の為に備えてになってしまうそうです。
時間も少し掛かるので、使わずに、また入院となってしまうか、そのまま使わずにお別れとなってしまうかもしれませんけれどね。
夫の仕事のシフト+少し変更して貰い、とりあえず、退院してから6日連続で休みは取って貰えました。
もしかしたら、4月は丸々休みを取れないかと調整して貰ってるみたい。
どうかな取れると良いな
私がまだ食べられるうちに、4月は比較的に元気なうちに、家族で過ごして想い出作りをしたいな。
私が大切なのは、やっぱり家族。
大好きな家族。
自分の誕生日のお祝いを目標と書いたけれど、
来週退院出来るなら、4月の娘の誕生日のお祝いを第一の目標にします。
下旬なので、その時、ケーキを美味しく食べられるかは不明。
あっ、私ったら、食べる事ばっかり~。でも、笑ってお誕生日の歌を皆で歌うつもり。
大切な大切な娘のお誕生日。
勿論、夫も大切な人。
今までを振り返り、あの時こうだった、大変だった、楽しかった・・・と、私は笑って沢山、沢山、話をしたい。
笑顔の私を残したいから。
今は一つ一つの事に対するありがとうの気持ちも、ちゃんと言葉で伝える様にしている。
もう、先伸ばしは出来ないから。
これまでの感謝も、いっぱい、いっぱい、伝えたい。
あっ、帰宅したら、二年分の医療費控除もしなくては!
する体力あるかな?
どうかな?
いや、やらねば
そして現実を私の両親にも伝えなくては。この後、先ずはLINEで母に伝えました。
母も私が元気になってる途中だとずっと思っていたから、返事のLINEでも、絶句したのが伝わってきました。
なんて事!・・・と。
父は認知症も少しはあるけれど、私の病気の事、どこまで理解出来るかな。
母曰く、時々話がこんがらがるらしく、でも、確定申告はちゃんと出来るのだと驚いていたけれど。
そして・・・10年以上も音信不通になっている実の姉。
姉家族は円満で、楽しく幸せにやっているはずなのですがね。
色々あり、姉から両親と私達家族を排除され、縁を絶っています。
連絡先は一応分かっているので、もう、私から連絡しなくてはね。
やるべき事がスケジュールいっぱいになり、今は私が忙しい感じ
家では、もう部屋を片付けて、病院が手配したくれた業者で、レンタル電動ベッドや手すりの搬入の日時も決まりました。
夫もテレビの位置も少しずらしてくれてます。
後は、実際に帰ってみて不便な部分を補っていく感じかな。
段々動けなくもなり、食べられなくもなってくるだろう。
ブログ友の皆さんとお話する時間ももう限られて来るので、コメント欄は開けますが、
お返事遅くなるか、出来なくなっていたらごめんなさい。
ブログ書いてる事は夫には言ってないので、そのうちフェイドアウトする事になるかもです。
夫には、具合が悪くなる前には伝えようと思うけれど、夫からの報告はないかもしれません。
なので、もう、先に皆さんには感謝の気持ちを伝えておきますね。
今まで仲良くしてくれて、本当にどうもありがとうございました。
いつも勇気付けられ、時には一緒に涙したり、一緒に笑ったり、沢山の想い出があります。
とてもとても素敵な場所でした。
本当に本当にどうもありがとう
皆さんにはまだまだ薬の効果が長く続いてくれます様に
副作用も大変で辛いと思いますが、日々を大切に過ごして下さいね。
皆さんの事、いつも見守っていますからね~
皆さんも後悔のない日々を過ごして下さいね
退院して余力があれば、またブログを書いたり、ひょっり顔出したりしますね~🤗