高倉健さんがお亡くなりになったと知りました。
私は高倉健さんの書く情緒あふれる文章が大好きで
健さんの、お人柄がそのまま転写されているようで
活字からも、あたたかさが伝わってくるものです。
一番好きな話を引用させていただき、ご冥福をお祈りします。
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ウサギのお守り
人が人を傷つけるとき、
自分が一番大事に想う人を、
いやむしろとっても大切な人をこそ、
深く傷つけたような気がする。
この人はかけがいのない人なんだ、
もうこんな人には二度と出逢えないぞ
と想うような人に限って
深く傷つけているんですねぇ。
傷つけたことで深く自分も傷ついてしまう。
そしていつの頃からか、
本当にいい人、のめりこんで
いきそうな人、本当に大事な人と
思う人からは
できるだけ遠ざかって、
キラキラしている思いだけを
ずっと持っていたいと
考えるようになっていますね。
くっつかなければ別れる事はない。
全然その人と会うことはできない
電話すらできなくても
自分の胸の想いというのは、
全くなにかタイムカプセルにでも
入ったように変わらないのですよね。
人には、それぞれ、いろいろなしがらみとか
事情とかあって。
そのときは自分はこうですと
言えないというのがありますよね。
何年かたったとき、
今なら言えるんだけどと
思うこともあるんですが、
時の流れが早すぎて、
向うはもう切り替えて違うパートナーを
探してるとかですね
難しいですね。世の中。
男と女の話を語る資格が、
僕にはありませんが、
でも女性を想わないわけでは
ないんです。
うまくいかなかったことが
みんな嫌な思い出かというと
そうでもなくて、
うまくいってない、
いやいかなかったんだけど
ちょっとした瞬間、
昔よく聴いた曲とか、
立ち止まった景色とか、
目をつぶって思い出すと
ジンとしてくることがあるんです。
そしてこれからお話をする
そのウサギの御守りは、
ある人からのお土産でした。
その人が海外へ出たとき、
空港の売店で買ってきたものだという。
この御守りをその人が僕だけに
かってくれたものなのか
それとも何本も買って
そううちの一つを僕に
くれたものなのか、僕は知らない。
でも僕にとってそれは
ただの御守りとはどうしても
思いたくなかった。
いつも身近なところに置いておきたい
とおもっていつも使うカバンに
取り付けた。
どんな丈夫な毛皮でも毛がぬける。
それがたまらなく勿体なくて、
考えたあげく、
御守りをすっぽり包むカバーを
皮革屋さんに頼んで
作ってもらった。
何をやっているのか、
めめしいことをして、と
自分自身可笑しくも思った。
でもそのときは、
ただの一本の毛も
その人の気持ちを
減らすような気がして惜しかった。
そのウサギの女性と
なんとかなりたいなんて思って、
その御守りを持ち歩いてる
わけではないのです。
ええ、そのかけらもないんですよ、
そんな気持ち。
でもあのときのあれをもらったときの
ぼくの想いは
ぼくにとっては宝石のように
キラキラしているということです。
アメリカ、ヨーロッパ、南極、
北極、アラスカ、
アフリカ五カ国、辺境の国々への
数十回を越す旅で、
乗った飛行機の
離着陸する瞬間などは、
無意識のうちに
その御守りを握りしめたりして、
ずいぶん一緒に旅をしました。
そんなに大切にしていたものなのに
一九九〇年の七月、
映画祭で中国へ行ったとき、
失くしてしまいました。
自然に取れてしまったのか、
誰かが持っていったのか、
あんなもの盗る人はいない
はずだから、
落したに違いない
懸賞金をつけるから探してください、
などと
同行の人たちに冗談めかして
頼んだが
ついに出てこなかった。
そういうことなんですね。
自分でもどうにもできない心。
・・・人を想うということは。
「愛するということは、
その人と自分の人生を
いとおしく想い、
大切にしていくことだと
思います」
「幸福の黄色いハンカチ」の
北海道ロケに
ぼくが山田洋次監督に
「愛するということは
どういうことでしょうか」
と、その質問にたいする答えでした。
高倉 健
「あなたに褒められたくて」高倉 健(集英社)より
引用させていただきました。
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素敵な俳優さんがまた一人世を去ってしまいました。
残念でなりません。
心よりご冥福をお祈りします。