あの日のことは忘れない。

  学校の校庭で待っていた息子を乗せ、すぐ実家に向かった。
  30kmを5時間以上かかって到着。
  真っ暗な部屋で心細そうに一人布団にくるまっていた母。
  駅からどうにか友達に送られて帰ってこれた妹。

  家族全員の無事に喜び
  実家で肩寄せあって夕食をいただいた夜。

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  テレビも携帯もラジオも使えず
  すぐ2km先のところまで津波が来たこと知ったのは
  3日後だった。

  震災翌日から
  実家と泉ヶ岳のふもとを行ったり来たり
  食料とガソリンの調達に毎日並んだ。

    ↓2011年3月12日の泉ヶ岳
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  福島第一原発の水素爆発の時間。

  何も知らずに

  私は外でモリヤスーパーに並んでいた。