宇喜多秀家が日参されたという七人塚。
関ケ原合戦のあと薩摩に匿われた宇喜多秀家。その屋敷跡が垂水に
あるという話関連です。その屋敷跡を訪ねてに行く途中にでっかい
ヤマモモの巨樹があり、その根元にあったのが七人塚
源平合戦に関連する資料として2015年11月分ですが、よろ
しかったら。
 ⇩

「亜熱帯雨林のなかで見た七人塚。」

秋晴れの午後だ というのに、誰もみかけない山道。

のの平野家1平野家5 平野家3

[垂水の豪族である平野家に匿われていた]宇喜多秀家公が住まわれ
ていたという屋敷あと を 訪ねようと、その山道をのぼっていくと、 
二股の分かれ道。

その標識の示す左手には・・・

のの龍か おおへび。

歩道の上に覆いかぶさるようなかたちで[龍か大蛇を連想させられま
したよ
]巨樹/ヤマモモの枝が空中に大きく張り出しており、
その枝をくぐったところに

のの平野家4

“七人塚” の解説板が ありました。

その解説を読み、案内の矢印どうりに左手に回り込んでいった先にあ
ったのが こちら。 七人塚 です。

のの平野家2

[失礼とは知りつつ]いっけんすると巨樹の根元に見えますが、こち
らは南九州に多いアコウという樹。

いろいろな鳥たちが実を食べることによって運ばれ、その種子がもと
もと生えていた樹木の上に落ちて発芽し、成長していく過程で気根を
伸ばし最終的にもともとあった木を覆い尽くし枯らしてしまうアコウ
の樹です。

そのアコウの樹[大人七人の両手を繋いでも抱えきれないような]に、
いまや飲み込まれてしまったかのようにしておられるのが、 この
 “七人塚” なのでしょう。よくよく拝見すれば、そのうねった気根
のなかに、飲み込まれた石塚の一部が見える気もします。

それにしてもの、この光景。

秀家公の屋敷あとが、天に向かってまっすぐ延びたスギの木が点在し
ていただけに[曲線と直線・暗と明・無機と有機・未分解と分解とい
ったような]なんとも対照的なたたずまいでありました。

そして静寂です。

南国の明るい亜熱帯の林のなかにいるはずなのに、トリの声ひとつし
ない静けさ。平野家の子孫の方々のお家も点在するはずだというのに、
ちょっとした別世界の観あり。

 ちなみにこちらは秀家公家臣のお墓 → 家臣のお墓


晴れ この地にかくまわれているあいだ、七人塚に毎日御参り
  されていたという宇喜多秀家公
。そのときの塚の近辺は
  いったいどんな風景だったのでしょうね。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染

 

 

 

 

宇喜多秀家も、見てていたのかホトトギス。

大坂夏の陣のあとに流行ったという、“花のようなる秀頼さまを 鬼の
ようなる真田がつれて 退きも退いたり加護島へ” という俗謡。
それに惹かれての鹿児島県垂水へ。次回の資料として、 2015年
10月25日分再掲載です。

 ↓

『宇喜多秀家も、見てていたのかホトトギス。』

錦江湾をはさんで鹿児島市の向かい側にある垂水市。その垂水市の
巨大なヘゴシダが自生しているような亜熱帯ともいえる牛根地区の
樹林の中で、

ヘゴシダ ← 3mはありそう  

まだまだ暑い気候のなか、 元気に開花しているホトドスのお花を
みました。

ののの ホトトギス

ホトトギスのお花の花言葉、それは『秘めた意志』『永遠の若さ』。

お花が咲いていたこの場所が、関ヶ原の合戦のあと薩摩に匿われて
いた 宇喜多秀家の住まわれていた場所であっただけに[なんだか
秀家の心情をあらわしているようで]とっても感慨深かったです。

秀家の御座所

家康の当時の年齢を考えれば、戦に負けたとはいえまだ20代後半
であった秀家だけに、心中期するものがあったにちがいない・・・
なんてことを勝手に思わずにはおられませんでした。

 垂水市側から見た桜島 ↓

のの桜島

元気の象徴ともいえる、あの錦江湾に浮かぶ活火山である桜島の姿
を朝な夕なに見ていれば、だれでもきっとさう思う気がして。


晴れ 関ヶ原から時代がくだって、大坂夏の陣のあとに流行っ
  たという、“花のようなる秀頼さまを 鬼のようなる真田
  がつれて 退きも退いたり加護島へ” という俗謡。
  この謡は、秀家の鹿児島滞在も踏まえての希望的観測だ
  ったのでしょうね、きっと。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染




 

ヤケド虫の罠。。
掃除などしているときに気づく、一本の草。あれれ、あんな
に大きかったっけ・・・などと思いつつ、身体がついつい勝
手に動いちゃって抜いたのはいいんだけれど、あとになって

   

指のあいだなどが腫れてくるなんてことが多々あります。そ
んな腫れをもたらす一見アリのような、そんな虫被害のおは
なしです。[抜いた草の種類がちがうにもかかわらず]昨日も
やられちゃったもので昨年分を掲載しつつ おおいに反省中。



事務所でお祀りしている地主神さまの碑の周りに植えている
ジャノヒゲ[リュウノヒゲ]のなかから、 花穂のついた草が
伸びて着ていたので、

      

素手だったのだけれど、ついつい反射的に手が伸びて、その
草を抜いた まさにそのとき、

花穂に触れた右手の そこかしこに感じたにピリリと走った
感触。。

花穂にアリでもいたのだろうと考えて、いつもどうりのアリ
対策として、熱さを感じている部分に

 ガムテープを貼り付けては剥がす

という アリの針を抜く作業を繰り返したのち、水道の水で
手首を洗ってアリ被害にあったときの薬を塗布したところ
その後しばらくして 患部がヤケドでも負ったように腫れて
きました。で、一週間経過した本日の右手の様子がこちら。

    
       

薬剤を塗り続け、一週間経過してもこんなかんじですからね。

35度ちかい気温のなかの、ただでさえ汗ばむ季節のなかで
あるのに加え、患部のピリビリとし、しかも肌が突っ張るよ
うな感触には おおいに閉口させられましたよ。

そうですこの症状はアリではなくアオバアリガタハネカクシ
通称ヤケド虫[宮崎では毒虫とも]による被害だったのです。

アリだとおもって対処[アリ被害はこちら]したのも、回復が
遅れた要因でしょうけれど、あの花を抜くとき花のなかには
いなかったと思ったのですけれど、まだ小さい個体がいた・・
ということなのでしょうね~。

成虫でも6ミリほどの細い体で、網戸をすり抜けて、戸内に
侵入し、電灯の明かりを飛び回って、落ちてきて、
灯りのしたにいるヒトの 首元やら胸元やらに侵入して刺し
たり、   戸外の自販機の明かりに集まり、飲料を求めて
やってきたヒトの素肌の部分を刺したりすることのおおい
アオバアリガタハネカクシが、昼間に ひょっと抜いたお花
にいたとは まったく注意不足なことで ありました。
 
ちなみに そのとき抜いた お花が こちら。

       

本日も 痒みをかんじるたびにお薬を塗布しているのですが、
完治するのには、あと10日ほどはかかりそうです。

ということで今回は、 気になる場所に生えていてひょっと
抜きたくなる草であっても注意が必要な場合もある・・・と
いうおはなしでした。

それにしてものアリガタハネカクシ。ぜんぜんありがたくな
いのに、この名まえはないだろぉぉぉぉぉ。


晴れ  ちょっと調べただけでも・・・
  やけど虫は、卵・幼虫・蛹・成虫のいずれも「ペデリン」
  という有害物質を体内に持っており、人の体に止まった
  ときに払い落としたりすると、体液が糸のように付着し、
  そこが数時間後に発赤し水ぶくれになる。症状はかゆみ
  を感じた後、やけどしたときのような痛みに変わる。
  目に入ると激しい痛みがあり、結膜炎、角膜炎、虹彩炎
  を起こす・・などとありますから、夏のいまの時期には
  とくに注意が必要なようですね。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」​


 

ミノムシ被害、今年は早め。。
枝にじっとしてぶら下がっている・・・といったイメージの強い
ミノムシ。  ですが そんなミノムシたちを、たとえば動きの
よくわかる透明なガラス製の花瓶のなかに放り込んでおくと・・

   

ものの10分もしないうちに

   
   

しきりにうごきまわって、なかには瓶の外に逃げていってしまう
強者もいるほどの行動をします。

そんなミノムシたちですから 食欲も旺盛。

     

4月のはじめのサツキの新芽が食べられると、↑の写真のような
葉が まだらなかんじに食害されてしまいます。

 

アップすると、こんなかんじ。動きの早い彼らですから、繁殖
していた場所のはを食べ尽くすと、当然のことながら葉のある
となりの枝に移動して、めしゃむしゃむしゃめしゃと、おなじ
ような食害を繰り広げ、しまいには樹が枯れてしまうこともあ
るのです。

    

この枯れた部分にいたミノムシがこちら。 ざっと15匹ほど。

いつになく寒かった今年、ツツジノグンバイやハダニなどは少な
かったのですが、このミノムシの早すぎる繁殖ぶりには驚かされ
てしまいました[例年は梅雨明けに多いミノムシ被害は​こちら​]。

・・・今年はどうも芽の萌きが遅いなあ

などと思われている方がおられましたら、ミノムシがいないかど
うか調べられたら良いかも。です。


晴れ  寒いうちからオルトラン粒剤なども散布し散水もして
  発生予防していたつもりなのですが、まんまとミノガし
  てしまいました。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg 「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染



 

サツキが丸坊主にされるまえに。
なんだかサツキの新芽の伸びが悪い部分があるなと思っていたら、
例年より早くミノムシが被害の発生です。今回の冬は寒い・・と
おもっていただけに意外な展開となりました。ということでとり
アえず2018年のミノムシ被害を受けた時分の回の再掲載です。
次回のつなぎとして6月の分ではありますが、よろしかったら。

 ↓

『サツキを丸坊主にした犯人は/2018年6月分

じとじとと小雨が降りつづいた長い梅雨もおわって、ひと月あまり。

晴れ渡った青空のもとで、早朝の涼しいうちに事務所の剪定でもや
ろうか・・と、道具をもってお盆前の樹木の伸びを確認していたら

     

列に植えられているサツキに、葉がなくなって丸坊主になりかかっ
ている部分を発見[映像↑の左の映像が被害個所・右は健常部分]。

しまった油断した・・・とおもったときには大発生しているあの虫、
ミノガの仕業です。

     

ミノガとは もちろんミノムシ。

葉や枝を食べた残りくずで 幼虫の作る巣が、ワラ製の雨具である
蓑/ミノ[こなきじじいが着ているアレです]に 似ているために
ミノムシとよばれるようになったのであろうという、あの虫です。

 いったいどのくらいいればこんなに丸坊主にされるのだろう

と、ためしに被害個所の1本当たりの1センチ以上の大きさのムシ
を、ひとつふたつと枝から引き剥がしといったところ、約30匹く
らいのミノムシを捕獲しました。


    


農業用の害虫図鑑をひも解けば、

 発生は年1回・梅雨あけに新成虫が現れる

とされていますので、6月の中旬以降につぎつぎと孵化した幼虫が
2月弱あまりでおおきいものは3センチ強に育ったことになります。

そしてこのミノムシ。 特筆すべきは、その防除の厄介さです。

なんせ防水性に富んだミノを持つ。たとえ薬剤を散布したとしても
安全なミノのなかに逃げ込んしまうのでなかなか薬効がないのです。
さらには汎用性な食性も武器ということであり、75種の庭木や樹
木で発生し、ときにはヒマワリなども食害するというからビックリ
ですよね。

ということで、お庭の手入れが趣味のあなた。

梅雨明けてひと月のいま。お庭の一角に丸坊主になりかかっている
株はありませんか。もし存在/したとしたら、対処は いま。充分に
生長して被害が広範囲に広がらないいまのうちに、せっせとミノを
みつけて捕獲してまいりましょう。

ということで今回は、梅雨明けの爽やかなサツキの新緑を丸坊主に
した犯人は局所に大量発生するミノムシだった というお話でした。


晴れ  身の回りにある 手ごろなものでも、ミノを作るミノムシ。
  色とりどりの毛糸クズのなかに、蓑をはずしたミノムシを
  入れて毛糸のミノを作らせる・・なん遊びも以前は流行って
  ましたよね。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg 「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染




 

国民から非難されない政治家になる方法。
政治指導者がなにをやっても批判されないようにするはどうすれ
ばよいのか。それは独裁国家となり、独裁政治をおこなうことで
達成されます。
ちなみに一般的な定義によれば・・・ 独裁国家とは独裁政治を
敷いている国を指す言葉。また独裁政治とは、一個人や少数者ま
たは一党派が、絶対的な政治権力を独占している政治体制を指し
ます。

さて、そこでです。現在のところで、いま世界でもっとも有名な
独裁国家と独裁者といえば、いったいどの国で、いったい誰にな
るのだろうと思われますか?

と問われたら、やっぱりこの国とこの方になるかと思われます。

そう、独裁国家はウクライナ。そして 独裁者となるのは かの
ゼレンスキー大統領。 上記の定義からいえば そうなります。

ゼレンスキー大統領は3月20日、「分裂を目指す政治家のいか
なる活動も成功しない」との声明を出し、国内の複数の政党の活
動を禁止しました。このため同国最大の野党である「プラットフ
ォーム―生活党」をはじめとする11の政党の活動が一切禁じられ
てしまいました。これによりウクライナの国会は、実質的に一党
独裁状態になり、大統領の独断よって全てが決定されることとな
っているのです。

もちろん、ご存じのように現在のウクライナは2月24日からは
じまったロシア連邦による軍事侵攻の真っただ中の非常事態にあ
る。だから仕方のない措置であったのだ・・といわれれば、それ
はそうかもしれません。

ただ現地から発信されるニュースのなかで、たとえば “国土が
焼野原になってしまったじゃないか” とか、“家も財産もすべて
灰になってしまったじゃないか” などという、政府の舵取りに
抗議するウクライナ国民の声がまったくないといってよいほどに
伝えられてこないという事態は、これはこれで問題じゃないかな
あとも思えてしまうんですよ。

そのような国民から非難されない政治家になる方法を取り上げた
米国の番組『タッカー・カールソン・トゥナイト』は こちら

明日は我が身、転ばぬ先のつえ。もし日本が侵略されたら、その
間隙をついて、日本がウクライナのような独裁国家にされてしま
わないともかぎりません。ということでよろしかったら、ご参考に。 
ちなみに 関連の回は こちら と こちら 。


晴れ ウクライナのニュースをみるたびに、朝ドラのカムカム
  エブリバディでの岡山空襲の場面をいつもおもいだして
  ますよ。そう、安子のお母さんとおばあさんが防空壕で
  なくなったあの回です。

 51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」 「本当は危ない有機野菜


 

では、バイデンさんは。
ゼレンスキーさんが 山姥/やまんばに見えてしまって・・という回
[こちら]から10日ほどたちましたが、それではウクライナにまたまた
武器を供与すると発表した ジョーバイデンさんは どうなのよ と
問われたら、それは やっぱり

 職務に忠実なセールスマン

というのが言いえて妙な話なのかもしれません。 その理由はこちら

ご参考までに よろしかったら。


晴れ 上記の話の、そんなウクライナのはなしが ​こちら​。
  山姥ばなしでも紹介したマイケル・ムーア監督による、
  ゼレンスキーさんの米国議会での演説前の談話のはな
  し[こちら]と併せて よろしかったら。

  51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」 「本当は危ない有機野菜


 

薩摩の六次化・・ひばかりぢゃわんは二度あつい。
前回の寒天工場関連として、六次産業化には熱き心も必要では
ないかなという回となります。2007年の回ですが、よろし
かったら。

 ↓

400年前に豊臣秀吉が朝鮮に出兵した時、藩主であった島津
義弘によって鹿児島県東市来町美山に連行された朝鮮陶工たち
は、義弘の命令で薩摩焼を始めました。そんな陶工たちの心情
やいかばかりか。

そして彼らのそんな時代の代表作が、この「火計り茶碗」です。

朝鮮から持ってきた陶工と釉薬、陶工の技術で、火だけが日本
のものであったことから「火ばかり茶碗」とよばれ、「火計り」
の題名になっている。

と、これが「火計り茶碗」の由来。

ということで、美山で「火計り茶碗」の実物を目にしたときには、
陶工たちの心情や誇りとか心意気といったものに対して、心のな
かに熱いものを感じずにはおられませんでした。

そしてもうひとつ。

当時の陶工たちが創建した、村の北西に檀君を祀る玉山宮(現在
の玉山神社)にお参りしようとしたわたしは、お宮さんに通じる
急な坂道の参道の途中で、「火計り茶碗」と同じように、いやむ
しろそれよりも熱いかもしれないもの を発見したのです。

・・・・それは お墓

その墓石に彫られていた名前は・・調所広郷。いわゆる笑左衛門
のお墓だったのです。

そのお墓のある理由ですが・・・

『弘化2年(1845年)薩摩藩の実権を握った調所広郷は、美山
の窯の新造を支援するとともに専売制度を改革し、住民の生活改善
と生産増加を図った。
これにより苗代川の薩摩焼は広く全国に知られるようになった。』

ということで、美山の朝鮮陶工たちは、この調所の自分達への厚遇
に謝し以て〔お墓も赦されなかったほどの〕彼の供養塔を玉山宮の
参道の脇に立てて、感謝していたというのですよ。

熱い・あつい話ではありませんか。

[いまでこそ市内の天保山に銅像も建てられている調所笑左衛門で
すが]調所が刑死し一族が追放された後はお墓さえもなかっただろう
と考えてさえいたのに、その彼のお墓を建立していたという美山の
方々の心意気は。

さすがは「火計り茶碗」を作られた方々のご子孫だな と、感心せ
ずにはおられませんでした。

ということで今回は、美山で見たひばかりぢゃわんには、二度に
わたってあついものを感じずにはおられなかった。というおはなし
でございました[美山に行かれる折には、ぜひ玉山宮にも]。


晴れ 冬になると朝鮮半島から飛来し、春とともに帰るツル。日本と
  故郷の朝鮮を自由に行き来するツルの姿に、望郷の想いをたく
  した陶工さんたち・・・ということで、ツルを題材とした焼き
  物。これも、またいいんですよねぇ。

 51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg 「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染


 

限りなく迫ってくるって怖すぎ。
どなたもいちどは聞いたことがあるとはおもいますが、 山に
棲む 山姥/やまんば の 話です。

 ある牛引きが沢山の干し魚を牛に背負わせ、ひと山を超えて
 自分の村へ帰る途中、危険な山姥/やまんばに出会う。
 何か食べるものをよこせ、まずはその牛の背中にある魚を食
 わせろとじりじり詰め寄ってくる山姥。まずい、ひょっとし
 たら自分が食われちまうと、命の危険を感じた牛引き。そこ
 で牛引きは一計を案じ、積み荷の魚を一匹づつ投げて[山姥が
 魚を食べている間の]時間を稼ぐことで、なんとか逃げおおせ
 ることにした。
 しかし、そこは山姥。 魚を食べる速度はとてつもなく早く、
 魚を投げても魚を投げても、 あっという間に山姥はこれを
 平らげ もっとくれ・もっとくれと叫びつつ、どこまでもい
 つまでも牛と牛引きを追いかけてくる。とうとう積み荷の魚
 の残りが一匹となり、そこで山姥は牛引きににやりと笑って
 言い放つ。 これを喰ったら、つぎはべこ(牛)かお前か
 どちらかを食わせろと迫ってくる。
 牛がいなくなれば、 これからの仕事はできくなる。しかし
 命には変えられない。 牛引きは、相棒である牛を見捨てて
 一目散に逃げに逃げた。

というようなお話。・・・怖い怖すぎる話ですよね。ルックスも
でしょうけれど、いつまでも追いかけてくる執念と、尽きること
もない山姥の欲というもの、それがまた輪をかけて怖い。

そんな山姥の話、この人を見ると連想してしまっちゃって。国民
の命と安全、そして財産を守る責任があると思う職についておら
れながら、すべてを相手の責任として、際限なく武器を欲しがる
その姿勢や怖すぎ。


晴れ 2002年の『ボウリング・フォー・コロンバイン』でアカデミ
 ー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したマイケル・ムーア
 監督による、かの人の米国議会での演説前の談話が こちら
 ムーア監督といえば、レイジアゲンストザマシーンの♪スリープ・
 インザ・ファイア、かっこいい~[こちら]。

  51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」 「本当は危ない有機野菜


 

六次化の手本にしたい薩摩藩施設の跡。
前回の亀割峠&亀割公園[こちら]の関連として2014年の過去分ですが、
よろしかったら。


ものづくりを有利に進めるためには、なんといってもその土地の気象条件を
考慮し・気象条件を味方にした工場立地をすすめる必要があります。

さて、そこで
 
 ● 日中晴天が続き、朝は温度が氷点下以下に下がること
 ● 雪が 少なく、積らないこと。
 ● 風が吹きにくい土地・盆地であること
 ● きれいな水があること
 ● 燃料となる薪が多量にあること

といった条件を備えた土地で興業する場合、あなたはどんな産業を興してみ
たいと考えられますか?

その答えのひとつとなるかつての工場跡のひとつが こちら 。

 施設 1

人の背丈以上に地面が掘り下げられ、左右に石組が組まれています。

 施設 2

その石組の上には、大釜が設置できるようになっていますよ。

 大がま

この構造であれば、左右の窯の日の具合が一つの通路だけで管理できるうえ
に、火が風の影響をうけることがないので、火力の安定も図られたのだなと
思えます。

そしてこの施設は、薩摩藩の寒天工場跡。

のののの 工場あと

現在でも充分すぎるほど僻遠であるこの地で秘密裏に製造をはじめた調所笑
左衛門
って、すごすぎ。


 この施設群、夏場はなにをしていたのでしょうね。寒天が貴重な時代
  であったから、秘密であったから、あえて動かさなかったのかもしれ
  ませんが・・やはり気になります。さとねりにも使えそうだと
  おもったのですが、これもまた冬の風物詩。。


 51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg 「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染