私を断酒に導いてくださった主治医が亡くなられた。とても悲しい。悲しくて悲しくて、主治医との間にあった出来事ばかりを思い出しています。
…入院前、私は「貧困ビジネス」がやりたかった。生活困窮者を集めて生活保護のピンハネをする、というビジネスだ。ヤクザとつるんではいいアイディアはないものか、とよく質問したりしていた。「NPOを立ち上げたい」というヤクザがいてその人にはよく媚びへつらったもんだった。酒浸りのアルコール依存症者にそんな話をまわす人もいなかったわけだが…やりたかった。人助けしてビジネスにもなる。まさにWinWinのビジネスモデルだ、と思っていた。
アルコール依存症治療専門病院に入院して、1番最初に感じたのは「こんな完璧なかたちで貧困ビジネスをやってるところがあったのか!!」という驚きだった。このシステムを考案して実践してる、50年も前から。国家資格までとって、国を巻き込んでやってる…「どんだけ気合い入っとんや!?」…院長先生はオトロシイ人なんやのう、そこらのヤクザよりオトロシイわい、と感じた。「この人の言うこと聞かんとまずいことになるかもの」と思った入院直後の思いだった。
…入院中に生活指導講座というプログラムがあった。患者が全員集まり院長先生から大勢の前で“酒を飲んでやらかしたこと”を赤裸々に詰問される、というプログラムだ。
しかし、私の時だけ「(名字ではなく下の名前で)テペスくん!」と呼ばれ、「退院したらカロリー計算も含む飲食業むけのコンサルティングをやってみたらどうかね?」「お前さんは頭がシャープじゃからの」と言われた。
すべての夢を諦めて生きてきて、ヤクザの会社で日雇い人夫をするしかなかった毎日を過ごしてきて、これからも同じような毎日しか待っていないんだろうと思っていた私には、この言葉がすごく嬉しかった。
…病棟を退院してDNC(デイナイトケア)に入所する際に院長先生に「楽しい時とイヤな時と、どっちが飲みとうなるや?」と聞かれた。やせ我慢をして(というか自分の心の動きに無自覚な私は)「そりゃ~楽しい時ですよ~♪」と答えた。先生は私の答えを聞いたのか、聞いてないのか「これからイヤなことがたくさんあるわなあ。それを飲まずにどう過ごすのか、ケアで練習しときなさい」とおっしゃった。
診察室から共同住居に帰る道々、考えてみた。強がって、楽しい時の方が飲みたくなる!って言ったけど、確かにイヤな時、悲しい時、辛い時、苦しい時の方が飲みたくなる。そうかそうか、よし!とばかりに部屋に帰ってすぐさま「自分にとってイヤなことリスト」を作った。60項目くらいあった。当時はこれくらいイヤなことばかりだった。
…最後の診察で「お陰さまで15年ぶりに車が買えました!」とご報告させてもらった。「車を買ったんだから自助グループへの参加数も増やせるようになりますよ~♪」その時は何もおっしゃられなかったんだけど、その夜、自助グループの集まりに顔を出されて「私が体調をくずしとるほうが若い人はやる気になるみたいですなあ(笑)」と言っておられた。私は「そんなことない早く体調を戻して元気なお姿見せてくださいよ~」と思ったが、内心はすごくすごく嬉しかった(´ω`)
約50年にわたりアルコール依存症の治療にご尽力なさられた大ベテランに主治医をしていただいていた私は、ホントに幸せものです。
先生方がおられなかったら我々は「慢性酒精中毒症」治しようのない「性格異常者」という扱いのままだった。治し方がある!から病名は「アルコール依存症」になったんだとか。
院長先生が最後に教えてくださったこと。先生ほどに実存療法でうたわれているという「責任性」の実践者はおられなかった。
自分にしか出来ないことがこの世の中には、必ずある!!
という責任性。
もうべったり頼れる先生は、この世にいない。自立の断酒!やってきますよ!!先生、見守っててくださいね(^_^)/~~
