話しかけてくれた方は日本在住の人らしい。
ルーツがこの村でお爺さんの時代まではここに住んでいたとの事。
お父さんの時代にJakartaに出たらしい。
今は、静養を兼ねて里帰りだそうだ。
いや~~~~~運は良かった。
で、この方日本の大学の先生だって!!
奥さんは日本人で日本の永住権も持ってるらしい。チョキ
とても流暢な日本語でした。
いや~~~~助かった。A=´、`=)ゞ
と、言うのもStaffも友達もOjekのお兄さんも
Sunda人なのになかなか言葉が通じないで困っていた。
都会とは言わないけど学校に行きインドネシア語教育を
受けていく間に次第に言葉が失われて行くのでしょうね。
以前行った胡蝶蘭の原生地も同じだった。

 
 広場の一角に腰を下ろして話を聞く。
今でも昔ながらの生活をしていると言う。
しかし、時代の波には勝てないのだと。
現に何とFMラジオ局がある。

 FMRadio局

 

 JICAがやって来て近くの川に小型発電機を設置してくれたらしい。
先ほどの車(Jeep)もその時に貰ったそうだ。
今では小さいながらも学校教育もある。
インドネシア語の読み書きと算数程度らしいが。
モスクもある。宗教が入って来ているのである。
ヘリポート兼サッカー場もある。

 ヘリポート兼サッカー場

 

 この辺り、50k㎡はバドゥイ族の保護区だそうだ。
バドゥイ族と言ってもスンダ族(人)である。
この辺の分類は分類学者や政治で分類するので解らない。
しかし、近年は大統領選挙などで有権者捜しにやってくるそうだ。
後談ではあるが、内(白)バドゥイ、外(黒)バドゥイと言っても
生活様式は今ではほぼ伝説に近い.......................

 訪問者は必ず食事をしなければ失礼に当たり
且つここの人達にとっては恥に値すると言うことでお昼を御馳走になる。
案内された建物はとても広く幾つかに仕切られていた。
そこにはメガワティー大統領(当時)のポスターなども貼ってあった。
出されたお菓子やご飯はとても美味しい。
食後はバナナやパパイヤ等のデザートも出して頂いた。
大広間にはテレビもあり先ほど脱穀をしたいた場所にいた
女の子も座り込んでテレビを見ていた。

 奥に案内して貰うと、大きな台所があり
沢山の女性がお菓子やら食事の支度をしていた。

 広い台所で食事やお菓子つくり



 

 一年に一回しか稲作はやらない。
何故ならば土地が痩せてしまうからだそうだ。
男は田畑を耕したり、集落のメンテナンスなどを。
女は食事の準備、田植え稲刈り、脱穀などが仕事だと。
占有している土地に対して人口が増えれば幾つかの家族が
この集落から出ていくそうだ。

 その後この集落の村長さんの家に挨拶に連れていってもらった。
生憎,村長さんは出かけていて奥様が黄体して下さった。
やはり、完全なSunda語で紹介される。
当然分かる訳もなく、頭を下げる。

 一通り集落を散歩して帰途につく。
案内してくれたおじさんは日本語で何時でも遊びに来るようにと。
車でも来れるからと言ってくれた。

 続くビックリマーク