連休中ですることも無く、NHKとネット漬けの日々。Zzz…(*´?`*)。o○
そんな中でちょっと気になった記事がありました。
2008年10月1日 02時30分
<インドネシア残留邦人>100歳田中さん42年ぶり帰国
42年ぶりに帰国したインドネシア残留邦人最高齢の田中幸年さん(100)が30日、東京都大田区の宝泉寺に眠る両親の墓参りをした。冷たい秋雨が降る中、墓前で10分余りも手を合わせ、「ただいま帰りました。無事に生きて元気でいます」と心の中で父母に報告した。田中さんは両親の墓参りのため、29日に一時帰国。この日はスーツにマフラー、毛糸の帽子姿で、近くのホテルから車椅子で寺を訪れた。10月上旬までの滞日中、毎朝、墓参りするという。
田中さんは1907(明治40)年、北海道函館市生まれ。21歳の時、オランダ統治下のジャワ島に本社があった貿易商社に入社し、駐在員となった。
敗戦後、祖国への思いはあったが、43年に結婚した現地女性との間に子どももいて、「40歳に近い私が焼け野原の日本で何の役に立つのか」と残留を決意した。オランダからの独立戦争では、入隊を拒んだが、後方支援部隊に入れられ、密林の中で飢えに苦しめられたあげく、肺結核を患った。敗戦時、1000人以上の日本兵が残留したが、大半はこの戦争で亡くなった。
田中さんは現在、アブドゥル・ロシドというインドネシア名も持ち、ジャワ島で山荘を経営。3男5女と20人以上の孫がいる。
66年に一時帰国して実家に寄ったが、寝たきりの母に掛ける言葉が出なかった。その後、両親は亡くなった。今回、付き添っている五女の良子さん(44)によると、100歳になった昨年10月以降、「日本で墓参りし、帰国しなかったことを両親にわびたい」と度々、口にするようになったという。【重石岳史】
で、更に見つけました。こちらからです。
そんな中でちょっと気になった記事がありました。
2008年10月1日 02時30分
<インドネシア残留邦人>100歳田中さん42年ぶり帰国
42年ぶりに帰国したインドネシア残留邦人最高齢の田中幸年さん(100)が30日、東京都大田区の宝泉寺に眠る両親の墓参りをした。冷たい秋雨が降る中、墓前で10分余りも手を合わせ、「ただいま帰りました。無事に生きて元気でいます」と心の中で父母に報告した。田中さんは両親の墓参りのため、29日に一時帰国。この日はスーツにマフラー、毛糸の帽子姿で、近くのホテルから車椅子で寺を訪れた。10月上旬までの滞日中、毎朝、墓参りするという。
田中さんは1907(明治40)年、北海道函館市生まれ。21歳の時、オランダ統治下のジャワ島に本社があった貿易商社に入社し、駐在員となった。
敗戦後、祖国への思いはあったが、43年に結婚した現地女性との間に子どももいて、「40歳に近い私が焼け野原の日本で何の役に立つのか」と残留を決意した。オランダからの独立戦争では、入隊を拒んだが、後方支援部隊に入れられ、密林の中で飢えに苦しめられたあげく、肺結核を患った。敗戦時、1000人以上の日本兵が残留したが、大半はこの戦争で亡くなった。
田中さんは現在、アブドゥル・ロシドというインドネシア名も持ち、ジャワ島で山荘を経営。3男5女と20人以上の孫がいる。
66年に一時帰国して実家に寄ったが、寝たきりの母に掛ける言葉が出なかった。その後、両親は亡くなった。今回、付き添っている五女の良子さん(44)によると、100歳になった昨年10月以降、「日本で墓参りし、帰国しなかったことを両親にわびたい」と度々、口にするようになったという。【重石岳史】
で、更に見つけました。こちらからです。