会長との電話で今月のへら鮒を買っていないことに気付いて釣具屋に出掛けたのだが、閉店時間を過ぎてしまった。悔しいので美味しい外食でも取ろうと思ったのだが、ふと、近くにある中古釣具屋が思い浮かんだ。最後に訪れたのは1年ほど前で、ヘラの道具はほとんど置いていなかったし、昔ほど欲しい物がないので足が遠のいていた。

 

店内に入ってザッと見渡すと相変わらず竿は数本しか無いし、置いてあるロッドケースやバッグはボロだ。やっぱり欲しいものはないか、と諦めてウキを見ると懐かしい塗りのボディが目に入った。「小春」に似ているけど、これは明るいよなぁと手に取ってみると(多分)本物だ。サイズは22番と23番と大きく、この大きさの小春は何十年ぶりに見た。

 

小春はすでに1本持っていて使うことなく大事に保管してある。手に取って、「使うことは無いんだよな」と思いつつも、レジに向かい支払いを済ませた。

 


家に帰って、手に取る。

テンションが上がる。

所有している1本と比べてみると、これら2本はオモリを背負うような設計をしている。仮に、ボディを真横に切ったとすると、先に入手した方は切り口が円盤であるのに対して、これら2本の切り口は楕円になっている。それに、足が1cmほど短くなっていることからもオモリを背負うことに設計意図があるのだろう。また、こちらの方が研ぎが雑なのだが、それは意図したものだろう…

 

と書いてみたが、実はそんなところに意識は向かっていなかった。

 

赤と黄色、そこに緑が混ざった研ぎ出し、白く塗られたトップの付け根、少し雑な塗装、コントラストが悪くて見にくい銘(ラベルを貼ったのだろうか)などを見ていると、中学生だったあの頃に一気に引き戻される。

 

初めて小春を目にしたのは富士見園だった。

練馬に引っ越して間もないころだろう。雑誌「へら鮒」の広告を見たのか、それとも配達の途中で見つけたのか、父親に連れられて来た。事務所に入って直ぐのところで料金を支払うと、奥に座布団があるといわれた。取りに行こうとすると、高い位置においてあるタナのガラス越しに飾り箱に入った小春が並んでいた。生意気にも

「これが、あの小春か、徳さんのお膝元だけあるなぁ」

と思った。当時のお小遣いで買えるものではなかったので、タナの下から仰ぐように眺めていた。

 

また、ほぼ同時期に喜楽沼に行くことになる。ここのレジトレー(つり銭受け皿)はショーケースの上に置いてあったため、料金を支払うときに嫌でもショーケース内の商品に目が行く。ラインや鈎など釣具が整然と並んでいたが、その中に箱に入った小春が陳列されていた。父親が料金を支払う間だけ見ることができたのだが、「わぁ~」、「おぉ~」と思っているうちに支払いが済み、サッサと釣り場に行かなければならないのが残念だった。そのうちに曲がらないトップということで小春のスーパートップが販売された。これぐらいなら手が届くので、お小遣いをためては受付が空いているときに何本か購入した。店のお姉さんはトップを箱から取り出しては仕舞い、また別の長さのトップを取り出しては仕舞いと時間が掛るので、商品を手渡してもらうまでは小春を食い入るように見ることができた。そして、心の中でアワアワ言わずに、足の長さ、羽の太さや絞り、塗りなどの情報を頭の中へと叩き込み、自製ウキの設計へと反映させた。

 

それにしても、小春を手にすると記憶として鼻孔の奥にかすかに残っていた富士見園と喜楽沼の匂いが甦る。富士見園はインスタントラーメンと卵、喜楽沼はタンメンとコーヒー。自分の記憶は匂いと直結していることが多いが、これは食いしん坊だからだろうか。それにしても、もし、当時に戻れるならば富士見園や喜楽沼で小春を使った釣りをしたいのだが。

 

それでは、また