■ALS de马马虎虎 ■
アイヌと琉球そして倭の関係その10
松前の人蝦夷地へゆくこと自由にして、蝦夷の人松前へ来ること法度にてならず。
松前氏や道南和人は、ここではっきりアイヌ民族の敵、搾取者にまわった。
北海道の歴史の上で、わずか七百年前、本州から入ってきた「和人」と蝦夷地のアイヌとの交流が激しくなる。室町の中期にはコシャマインの乱がおこり、寛文九年にはシャクシャインの乱がおこっている。
「吾妻鏡」の中に、鎌倉時代の初期に犯罪人を「エゾへ流した」という記述があり、流人とはいえこれがシャモ移住の最初の記録である。これはすなわち「擦紋時代の末期」ということになる。
十五世紀、奥羽の豪族の間に戦乱が相次ぎ、津軽の藤崎に居城をかまえていた
安藤氏は、
十三湊に移りアイヌとの交易で勢力をのばし、北奥羽の支配者として君臨した。しかし、1,432年八戸の南部吉政の攻撃に敗れ、
時の安藤宗家:安藤森季は蝦夷へ逃れた。それに前後して他の豪族達も、アイヌモシリ南部へ相次いで渡り、現在の函館から上ノ国町の沿岸部には、十二の館があったと伝えられている。
これがいわゆる「道南十二館」で、のちの
「松前藩」の祖「蠣埼氏:花沢館」もあった。