■马马虎虎de ALS■
アイヌと琉球そして倭の関係その1
1. 775年には、サハリンアイヌが直接清王朝を訪れ、朝貢したと書かれた(満文文書)が残っているそうである。[山丹とは
、
アムール河口付近の、ニプヒ、ウリチ、オロチ、ウィルタなどの諸民族のこと]
(山丹交易とは、中国製品を
、山丹人を媒介にしてアイヌ民族にもたらした、間接的な交易) 北方交易により中国から北海道へ、さらに江戸、京都、大坂へ、その交易品の中に「蝦夷錦:山靼服」がある。
(ロンパオ)と言い金糸銀糸で刺繍をした清時代の絹織物である。(アイヌ民族の成立期とも言われる十二世紀には、京都に蝦夷錦が在ったというから驚き)
アイヌ文化は、大陸の文化の影響が強く、擦紋土器の時代には、大陸からの流入民族もあり、
大和よりも絹などの流入も早い、詰まりアイヌ文化は、オホーツク文化の流れを担った。
ロシア人とアイヌ民族との交易の歴史は浅く、1,697年ロシア人がカムチャッカに侵入、
コリヤーク、カムチャダール民族、1,711年南下して千島列島に、そこで
千島アイヌに
「ヤサーク」という「毛皮税」を課している。

