ネコ踊り病(水俣病)その72 | ■ALS de 马马虎虎 ■

■ALS de 马马虎虎 ■

als罹患者ミッキーは
「奇妙奇天烈・马马虎虎(マーマーヒーヒー=馬馬虎虎・いいかげん)」なオヤジなのである。

马马虎虎de ALS

水俣病発見から十二年もの歳月がたった(1968438月)会社は水銀母液100トンを韓国へ輸出しようとした、それは大量の水銀を再生できるが、それはそのまま中毒を起こす危険性もはらんでいた(昭和43年に入りチッソがアセトアルデヒドの生産を中止したのに伴い、お荷物の有機水銀廃液百トンを韓国に輸出しようとしてドラム缶に詰めたところを、第1組合に見つかりストップをかけられた)

その情報を得た労組がそれを阻止した、これを機に労組は「水俣病に対して何もしてこなかったことを恥じて、これからは水俣病と闘う」と宣言するに至った、然し、労働者の命を守る運動が健全に行われていたら、このような公害は阻止できていたのでは。

1982320日水俣生活学校の開校式が行われた、患者連盟、申請協議会、相思社のメンバーなど50名ほど、第一期生は19名、川本輝夫さんの下、顔ぶれは高校生から三人の子供を持つ女性まで、年齢や職業もさまざまで、学校を終えたものが水俣にとどまって、地域の発展に関わりなお水俣病患者の一助となれることを目指して。

昭和52年、堀田瑞穂さん、遠藤素子さん、花田利雄さん等により患者支援の会「たけのこ塾」が発足、「自分たちのことは自分たちで」不治、不変とあきらめず、「自立し、学習し、病気と闘う志を立てよう」集まった受講生は16歳から60歳で、自らの病に打ち勝つためのカリキュラムを組み、討論し、励ましあい、前進し続けることは、一筋の光明であり、ほのかな希望である。