■马马虎虎de ALS■
水俣病が社会問題になる以前の漁業世帯数は368世帯で、36年には僅か159世帯に減少、漁獲高は25年から28年の平均12万2千4百6十貫の水揚げがあったのに、年を追うごとに減少し漁民暴動の前年33年には、十分の一にも足りぬ1万5百9十5貫となっていた。
「祈るべき:天と思へど:天の病む」と石牟礼さんの句にある。
水俣病というのは、水俣という一地方の病じゃな43くて、日本の病で、日本が抱え込んだ病:変で、特殊な地方で起きた事件では無い、そこから今もメッセージがはっせられている。それなのに政治的な決着のみ計られただけで、「問題はそっくり残って、国としては、早く患者が死んでしまうのを待っているかのようだ。」
無処理のまま排出した水銀量は、四百トンにも上り、その量たるや人類六十億(当時)総てを殺して、さらに余りある量で、チッソはそれを否定し続けたのである
患者たちは苦患を背負って、発見されてからでも40年、よくもよくも放置できたものだ、事態を放置し続けることにより、国家機関はこの人々を衰弱させ、立ち直りのきかないようにして前途をも絶ち、きわめて巧妙な衰滅方針を歴代受け継いできたのではないか、経済大国日本を目指す産業至上主義、ましてやそれも落ち目の今、「人柱」の処理は安く上げたかったのである。