私はおじいさんとおばあさんっ子でした。
おじいさんは大酒飲みで夕方になるとアルコールが切れ本人が切れまくって手がつけられないアル中でした。
家族に忌み嫌われたこの清市じいさんですが私は大好きでした。じいさんの趣味は四国三郎での鮎釣りで長い竹竿を肩に担いで出かけるともう夕方になるまで帰らずこの頃はまだ上流にダムが無かったため全て天然の尺鮎をどっさり獲ってきてました。釣りに出ないときは縁側で鈎括りと仕掛け作りで・・・この頃に道糸のプツン切れを即座に直す括り方を伝授されていて現在もこのやり方を重宝しています。農作物では夏場に広い扇状地での西瓜作りが得意でした。友達と連れ立ってこの西瓜畑に行くとじいさんが完熟の西瓜を出してくれます。膝の上で軽く落とすとパリッと音がして割れた西瓜は砂糖が掛かったような白い粉がかかっていて物凄い甘い西瓜はもう最高!こんな美味しい西瓜を知ったのはおじいさんのお陰です。ただ数年後吉野川が大洪水に見舞われた際に丹精込めたじいさんの西瓜は出荷を待たないまま全て流されました。これ以降西瓜畑は無くなりおばあさんの芋畑に変わっていました。ただ芋畑のお芋も畑が冠水すると全滅になります。おばあさんは一度くらいでは諦めない頑張り屋さんでしたのでこの後も芋畑は続いていたような記憶がありますが・・・ただあの洪水以降に砂糖が吹いたようなかの西瓜畑に出会う事は二度とありませんでした。
酒好きのじいさんが深酒になったのは多分趣味の鮎釣りや西瓜作りをやめた頃からだったと思います。酒屋のカウンターでコップ酒を飲む時はいつもお供をさせられたものです。お供は余り好きでなかったのですが帰り際に新聞紙にくるまったままの虎巻(大餡巻)を買ってくれるのでまっ嫌ではなかったんです。ある真冬の夕方にお供した際にじいさんいつも以上に酩酊して帰り道で気持ち良く寝転がって漆黒の闇の中で動かなくなったのにはビックリでした。どんなに揺り動かしてもビクともせず急ぎ我が家まで走り込んで救いを求めたものです。これ以降じいさんのお供は無かったようです。
私の釣り好きはどうもじいさんの影響大でしょうね。付き合いでお酒はウィスキーを一晩にボトル一本空けていましたが体に異変を感じて20歳中半台で禁酒、たばこは50歳中半台で禁煙し現在に至っております。酒をさっとやめられたのも子供の頃にじいさんの酒癖を見せつけられていたからなんでしょうね。
いつの間にかあの頃のじいさんの歳になっている私ですが家族に迷惑がられないよう心掛けたいものでございます。今日はあの時の西瓜にはほど遠いのですが西瓜を頂きます。
あちらで姉御がなんでこの時季に西瓜なのって不思議そうな顔をしていますが・・・さっ次回釣行の準備します!
