帰省の初日坂出の府中湖へ立ち寄りました。
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 ダムサイドの護岸に立派な俳句の石碑ウン?小高い丘の上には巨大な浄化施設が聳え立ちダムを渡りきったところにはこれまた府中湖の巨大石碑にビックリ です。ダム中央から左のへらポイント崩れ場所を見ればここは完全コンクリートに固められて入釣不可、右のでっぱりここは最高ポイントの場所、かろうじて釣り台が出せそうで梯子付きになっていました。
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 昭和47年4月三回目の転勤が讃岐、ここで約4年笠井、早川両氏とへらぶな釣りの日々を過ごしましたがその10年後またまた讃岐への転勤で私にとっては超ラッキーでしたが家族はかなり大変だったようであります。
日々の勤務は胸突き八丁の事ばかりでしたが何とかこれを乗り切ったのはへらぶな釣りをやっていたお陰です。
そんな多忙の中でも春から初夏にかけては出勤前の竿出しをこの護岸で笠井氏との並び釣り・・・エメラルドグリーンの水面に朝の陽射しが注ぐ時間にはあちらこちらでへら塊が出現、半時間も餌打ちすればたちまち浮子の周りはへらだらけとなっての入れ食い・・・お互い顔を見合わせ時計に目をやりながらぎりぎりまで竿絞りで二桁になれば即納竿!釣り馬鹿のハマちゃん同様釣り服を脱げばその下は制服を着込んでいました。
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 その狂ったような釣りをした場所がこの護岸でした。台風の濁り水で澄んだ水の色ではありませんがこの場所から望む前方の景色は昔と同じでした。この右手の護岸越えの池も私の好む好ポイントでしたが初夏の一人釣りの際に高圧電線の鉄塔横で目の前の落雷の物凄い閃光を見て以来入釣していません。
 その当時この地に台風が来た翌日前述の右岸先端に釣り馬鹿三名と他に数名を引き連れて赤土交じりのドロ濁りの中でへら釣りとなったのでありますがてっきりこんな状況下で釣りは無理と思いこんでいた私の考えは見事に外れ全員入れ喰いとなったのでありました。へらは濁り水でも喰ってくれるのが判ったのがこの時でした。
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 この日は放流中でしたが放流が無い時のダムサイド下は格好の箱池となってここで釣りをするへんなへら師も現れていました。一度だけ早川氏に誘われてここでの竿出しをしましたが結果は見事に坊主、帰りかけ渡しにしてあった丸タン棒が中ほどに差し掛かった際にクルッと回転し足からドボン、この頃は背負いのへらバッグなのでこれが救命具代わりとなって浮いてくれるのであります。このへんなへら師の真似事はこれ一回のみでした。
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 ダムゲートに埋め込まれたこのプレートは昔のままのー府中ダムーでした。
もう若き頃に夢中になっていたこのダムの面影はありませんが頭を過ぎる思いではまだ最近の事のようです。
この後姉御のお目当飯山の小池で布袋アオイの群生を撮る予定でしたが残念まだ花は咲いていませんでした。