
奥入鹿の川岸に今年もムスカリの花が咲きだしました。
釣りで動かない浮子を見続けて少し休憩時にこの花を見ると心が和みます。
昨年色々な植物に詳しい姉御に聞いてみるとそれはユリ科の球根花でムスカリって言うのよって教えられました。
後で花言葉を調べてみてびっくり(私のお気に入りの花にはどことなく気高さが感じられます)
花言葉
寛大な愛、通じ合う心、明るい未来
(失望や失意とはまるで正反対の意味がある)
この花を 坊主花 なんて呼んでいるんですから失礼ですよねー

私の幼い頃周りはみんな貧しい農家でした、なかでも土地が無い方々はもっと大変だったようです。
お芋の収穫を手伝っていた時、あれって以外と面白いんです。最初のお芋の蔓刈りは嫌なんですけどこの後の
芋堀りは楽しいものでした。当時二種類あって赤い芋が赤芋と呼ばれホコホコで美味しんです。黒っぽいのはボケ芋と言われてほとんどが芋焼酎になっていました。この頃はボケ芋も重宝で輪切りにしたお芋の中心に穴を開けてこれに藁しぶを通して数珠繋ぎにしたものを大釜にいれてゆであげます。これを軒下にズラッと吊るします。
秋から冬にかけて吊るしあげたものが子供のおやつ代わりになり、ちょうど東北の吊るし柿に似てますよね。
味の方は吊るし柿との比ではありませんが空腹を抑えるには絶好のおやつでした。ポヶットに3~4枚も入れておけば授業中でも齧ることができました。なんか話しはドンドン違う方向にきてしまいましたが・・・ごめんなさい
お芋の収穫の時に祖母が赤芋を1~2ケあちらこちらに残していたんです。それも少しだけ土かけをして・・・
これに気がついた私がーばぁやん~芋が残ってる~-言ったところムッとした顔をしてーそれは、そこに置いてえぇんじゃあーの返事でした。陽の暮れかかった芋畑にどこかの親子が芋拾いに来ているのを見てやっとおばぁさんのムッとした仕草の意味がわかりました。
こんなおばぁさんに育てられた私に現役時代の社命にはとてもとても同意できる事項はありませんでした。弱きを救い強きをなんとやらはこのおばぁさん魂があればこそ・・・お陰で2~3年毎に転勤辞令でしたけどね。
でも生きていく限りは見えないところでおばぁさんみたいな心優しさは持ち続けたいと思っています。
南東北、北東北のみなさん 頑張ってね 生きていればきっと良いことがありますから・・・応援しています!!