イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

  東京勤務時の昼休み 福島支店の佐々木さんが退職の挨拶をされたのが 5年前・・・

 歳を 聞くと なんと私と 同じ歳  
         なぜ 定年前で 辞めるのの問いに・・・
           ユックリへら釣りを したいからと言われ  -羨ましいー 
              同じ趣味と判り この場は意気投合と あいなりました。

 その数日後 お別れに いただいたのが 自作の 万力と竿掛け
          行船公園で いつも 使わせていただきました。
 或る日これを見られ どこへ行けば 手に入りますかの 問いに
           ビックリ・・・  自慢の宝物ですとは 言いませんでしたが・・・
              13尺までの短竿用 次回 つつじ池で 使う 予定です。

  佐々木さん 今頃 福島のどの辺で へら釣りなんでしょうか
               一度お会いして釣り談義に花を咲かせたいものです。
 
    満濃池の釣り・・・釣り禁止を聞いてもう随分経ちましたが・・・

 昭和47~48年 府中ダムと満濃池でへらを入れ食い釣りの記録が何故かありません。 
この後10年後から日誌をつけています。
昭和58年(1983)7月24日26cm1枚で始まるこの日誌、よくよく見ると松山からわざわざ岡田さんが見えて横田、有光さんに 連れられての底釣りで さんざんなめにあっている事がわかります。
7月27日2枚、8月7日7枚、11月20日4枚、23日5枚、12月5日2枚、
これが翌年の59年3月11日10枚、3月20日15枚、3月25日8枚、4月1日なんと53枚
      この年のこの頃が満濃池の一番良かった時季でありました。
 この後釣り禁止のニュースがちらほら・・・kさんと奥のワンドでボート釣り 
6月3日13枚、10日6枚、排水塔で8月19日3枚、8月26日11枚、確かこの頃大減水で池の底が見え出し 毛布にくるまれた女性の白骨死体までが現れ 其の傍でナイター釣りをどうしてもやりたい・・・物好きまでが現われ・・・この続きは もう止めておきます。・・・恥ずかしい話です・・・
其の後も9月22日4枚、11月11日15枚、25日2枚と釣果は落ちています。
 そして昭和60年1月4日満濃 三田の谷で坊主、2月3日も坊主、10日も坊主、やっと3月10日になって尺3枚上がり よしっ これから・・・となるのでありましたが 翌月 名古屋へ 転勤
                     さらば 満濃池の 釣行とあいなりました。
 ただ満濃のへらは ほとんどが尺止まりの 頭デッカチでしたから 暖かい時期の釣行は
                   どうしても 府中ダムの方に 足が向いてしまったものです。
夏の夜 家族で蛍狩り 蛍より 人の数の方が 遥かに多く ビックリ
 蛍も驚いて 頭上の遥か上や 手の届かない護岸の草むら・・・
     ここで2本継ぎのへらのタモ登場 次から次に蛍を捕獲
  後にも 先にも 家族に釣具で感謝されたのは この時だけでしたが・・・
            このタモ今も 使っていまーす。