
本棚から古い釣り日誌が 出てきました。
この頃の 日誌は自分の都合の良い書きかたで 釣れた時の事しか書いてありません。
松山で二人の先輩と楽しんだ釣りも よくよく見ると蛇池の釣行は昭和56年(1981)2月22日に岡田氏から地図をもらって一人釣りをしています。釣果はオカユ練り餌で1枚、喰い渋る時期は時期なので形を見られただけでこの日は満足したのでしょう。
少し驚いたのは この日の日誌から翌年の1月10日までなんと日誌の記録がありません。
たぶんこの頃 本社の経理に籍を置いていたため かなり多忙な日々を送っていた記憶があります。
毎日午前様の帰社で釣りは昼から行くのが やっとの釣行でした。
身辺になんとかゆとりが・・・と言うよりは やっと仕事を追っかけて出来るようになりまして・・・
この頃から日誌も真面目に?記帳していました。
1年間の空白時に唯一詳細の記帳があったのが昭和56年(1981)4月12日の鹿野川ダムの釣行
10日ハタキの情報をキャッチしたため日曜日AM2時55分起床、ダムサイドへ4時半着 宇和川の上流鎌田橋の下手,柿の木が護岸沿いに植えられた畑下のワンドへボートづけ 6時出竿
竿 世紀13尺 餌 山上湖の星 と赤べら
1投目からバラシ、3投目に40cm超が・・取り込みは両手での拝み取り 昼までに20枚
40cm超 10枚
30cm超 4枚
25cm超 6枚
昼を過ぎてもボートの下の 水の中は巨べらが右往左往している・・・・・しかし
しかしどうしても 睡魔には勝てませんでしたボートの中で ダウン・・・・もったいない
15時二人の先輩に起こされるまで爆睡でした。釣果を報告した途端 顔を見合わせビックリのお二人
なんと二人ともこの日は本湖に向いて釣ったため貧果に終ってたんです。
私だけがハタキ真っ最中のワンドで釣りが出来たのでした。。
今から思えばあの日 あの時間 眠らずに釣り続けていれば もしかして50cm超も・・・
思いだす度に 残念がったものでありました。
この時 使った 歌舞伎浮子 何処へいったのか今は1本も有りません。
この夜9時米国のスペースシャトル1号 コロンビアが打ち上げ成功 このニュースの後
またもや爆睡となったのであります。
それにしても あの日の名人の釣果は いったい何枚だったのか聞きそびれましたが・・・
マァー この記録があっただけでも私にとっては 懐かし思い出です。
さて 明日あたり どちらへ 釣りにいきましょうか 後で悩まないように・・・