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 26日雨の合い間につつじへまたいきました。日の出前なのに早くも小牧の常連さんが桟橋に顔を見せており 前回と同じ場所で11尺を出す、7時15分に36cmがすぐに40cmが 左隣りも順調な釣り カウンター出そうかなんて疚しい考えで罰があたりました 例のモヤーモヤーが始まりました。隣りは快調に上がっているのに・・・・・ここは蟹の巣があるんと違うんかいなー?浮子を3cmから5cm上下にエレベエターどうやってもあたり無し、絶対これは蟹の集団に出くわしてる・・・かってに判断して 10尺に変更、なんと3投目から抱卵べら・・・コンスタントに昼迄に13枚それも良形揃い 良かったのはここ迄・・・そう何度も蟹のせいにするのは気が引ける・・・隣りも喰い渋ってるようなのでここは定石どうり新べらグルテンをつくりかえ すぐに浮子が反応 ホーと自分で感心・・・2枚追加して納竿。 
 
サラリーマン時代の休日のみの釣りは  雨天おおいに結構、池の水面に水滴が入り水中の溶存酸素量が増すためへらは活発に餌を追う・・・浮子は見やすいし、涼しいし・・・極寒と雷さんは駄目ですけどね。

4回目の転勤が讃岐から愛媛の松山に決まったときへら釣り三昧もこれ迄かと あきらめて仕事にうちこんで数年経った時、某部長から今は亡き岡田先輩を紹介されその友達であった横田先輩とも親しくなり数日後の休日からは大洲 肱川町の鹿野川ダムと伊予郡砥部町の蛇池での楽しい釣りが始まりました。ここだけの話、最初は二人に挟まれて餌つくり、竿の振込みから取り込み、浮子のトップの見方・・・   私が1枚釣る間に敵はもう5枚超・・・屈辱の日々・・・先輩の口癖は取り込みは バシャバシャ音出すな、へらは上唇の真ん中でハリがかりさせよう。耳にタコができてこのタコが取れ?かけたころどうにか蛇池でつれだしやっと楽しみながらのつりができるようになりました。
 1982年1月10日10枚、15日坊主、3月22日40枚、28日30枚、4月4日20枚、5日40枚、11日7枚、25日30枚、29日25枚、5月2日36枚、3日40枚、5日11枚、9日59枚、16日22枚、23日26枚、30日17枚、6月13日29枚、20日4枚、何故かこの池最後の27日は70枚での納竿は誠に思い出深くただただ二人の先輩に感謝するばかりです。  
 ここ迄打ったら急に野池に行きたくなりました。つつじは少し?お休みして半田の野池、入鹿池、牛池に出かけます。たぶん坊主が続くと思いますが初心にかえって頑張ってみます。