今から考えると、

「ビンテージ」感覚で、

 

「人生の決断の方法には色々ある。消去法で選ぶというのも立派な人生の決断方法だ。決めるのは自分自身だ。」
その声に押されて、重大な決心をしました。
「自分で選んだ以上は、後で文句は言わない事だ。」とも言われました。

 

特にしたいこともなく。

修行感覚で専門学校へ。

此処で随分と鍛えられました。

その時の先生は、

私の結婚式にもお話して下さいましたし、

今でも近況を連絡します。

 

29歳頃から専門学校、31歳に卒業、

介護保険施行の2000年に

病院に就職。

まだ、介護福祉士は少ないから、

随分と特別扱いでした。

環境的に恵まれていました。

 

白い白衣に身を包み、

患者さんから「先生」と、

勘違いされながらスタート。

 

 

殆どの介護技術や医療知識は

ここで学びました。

同じ専門学校の先輩がいて、

介護技術は先輩を見習い、

丁寧かつ迅速に。

 

当時は天職という感じでした。

まだ若かったし、人気もありました。

「他の人とは違う」といった感じで、

見られていました。

 

 

夜間は、50人近くの人を、

病院内をカートを独りで押しながら1週、

一気にオムツ交換。

これだけすればオムツ交換はプロ。

 

日中は、

リハビリに行かせるために、

移乗介助で車椅子に乗せる、

男だから率先させられました。

おかげで充分鍛えられました。

 

入浴介助も迅速かつ丁寧に。

車椅子の方のリフト浴、

寝たきりの方のストレッチャー浴。

率先してやらされました。

 

病院に就職した初めから

介護リーダーとして期待され、

5年もすればリーダーとして

皆から認められるようになりました。

これが職業としての

最初の成功体験でした。

その時に、今の嫁と知り合いました。

 

5年経ったので、

ケアマネージャーの試験受験の要件を満たし、

試験は1回で合格。

45問あった問題で、

間違いは4問のみ。

合格率は20パーセント以下まで下がっていましたが、

受ける前から受かるとわかっていました。

 

ケアマネージャー取ったのをきっかけに

転職を決意。

その頃は、まだ若かったし勢いもありました。

それなりに理想も高っかったです。

そんな時期もありました。

 

 

一番華やいでいた時期でもありました。

きつい事も率先してやらされました。

 

 

上手く行かなくなったのは、

病院を転職してからです。

 

どうして転職したかと言うと、

やっぱり介護の最先端は

施設だと思っていたからです。

 

 

ケアマネージャーもしてみたかったのですが、

市街地の真ん中にある特別養護老人ホームに。

 

この後に、過重労働が待ち受けていました、、、、。

 

今、思うに。

人それぞれに、向き不向きがあるのでしょう。

 

その後は、翳りが見え始めます。

どこがどうだったか、

検証が必要です。