先日、コロナで入院中の高齢男性が亡くなった。

男性の家族は近居の方と遠方の方だったが、遠方の親族は正月帰省を見送っていた。
なぜなら、その辺りにはまだコロナの感染者はなかったために自粛したのだ。
今年のお正月は寂しいけど仕方ないよね、と。
また落ち着いたらね、と。

しかし、隣の高齢独居の方のお宅には感染者数の多い県から帰省していたそうだ。
男性は奥様と2人暮らしで近くに子夫婦もいることで安心して生活が送れていたが、隣は高齢独居ということで奥様が時々訪れては安否確認をしていた。

ところが、帰省が終わり戻った隣の子夫婦から連絡が入る。
「コロナになった」
子夫婦が帰った2日後だった。
次の日、「濃厚接触者になります」という連絡があり検査を受けた。
陽性だった。
高齢独居ということもあり、すぐに入院となる。

子夫婦が帰った次の日、様子を見に行きおしゃべりをしていた隣の奥様が濃厚接触者になり検査へ。
奥様が陽性となりすぐ同居の男性も陽性となり入院された。
そして男性が亡くなられた。

田舎の助け合い精神がもたらした結果だった。

今、コロナに感染した人を責めてはいけないと言われている。
被害者だから、と。
しかし、亡くなられた男性のご家族から見て、あれほどまでに自粛を歌われている中で帰省してきた方々を被害者と見ることはできるのだろうか。
声にして責めることをしない理性はあっても、心の中で「お前たちが来なければ父はもう少し長生きできたのに!」と思うのはあるのではないだろうか。

そうなるともう、今までのような近所付き合いはままならないのではないか。

石を持って追うたり、張り紙をしたり。
そんな明らかな「迫害」と言えるような言動はなくとも、心の中に残る「あの時帰省しなければ」は消えないのではないか。
それはきっと、独居の方にもあると思う。
自分の子が帰省したことで隣の方が亡くなった、という後悔と罪悪感。
誰も幸せにならなかった。





今会わなくても死なないけど、今会ったら死ぬかもしれない。
そして
今会ったら死なせてしまうかもしれない。



ほんの少しでいいから、考えてほしいと思います。