本日、小学校の修了式で春休みに入った。
今日は、Xで見かけた投稿をきっかけに考えたことを記録しておく。
内容は、
「子どもができなかったことをできるようになったとき、達成感を得ているのは本人ではなく、教えている側ではないか」
という趣旨のもの。
特に、本人が望んでいないことを促されて達成した場合、それは本当に本人の達成感と言えるのか、という指摘だった。
これを見て、自分の過去の体験を思い出した。
小学校高学年のとき、体育の授業で鉄棒の発表に向けた取り組みがあり、2年間継続して練習する機会があった。
もともと鉄棒に対する恐怖感が強く、取り組み自体に苦手意識があった。
練習の中で、前回りや逆上がりなどはできるようになったが、恐怖感がなくなることはなかった。
最終的には、できる技を組み合わせて発表用の構成を作ったが、達成感というよりも「成立させた」という感覚に近かった。
このとき強く感じていたのは、指導してくれている先生に対して応えられていないのではないか、という負担感や申し訳なさだった。
この構造は、現在の子育ての場面でも類似していると感じることがある。
子どもに対して周囲の大人が関わりを重ねているにも関わらず、結果が伴わない場合、本人だけでなく保護者側にも負担感が生じることがある。
一方で、最近聞いた教育・支援職の発信の中で、
「うまくいかない場合は、子ども側ではなく関わり方や伝え方を見直す」
という考え方が紹介されていた。
また、医療の分野でも、支援を受ける側に「相性の問題」と感じさせるのではなく、提供する側の対応を見直す視点が重要であるという話があった。
これらを踏まえると、
結果が出ないことを本人や受け手側の問題として捉えるのではなく、環境や関わり方の側に調整の余地があると考える方が適切な場合もあると感じた。
過去の自分の経験に当てはめると、
もし関わり方や提示の仕方が異なっていれば、同じ活動の中でも感じ方は変わっていた可能性がある。
現在の子育てにおいても、
「できないこと」に対して単純に働きかけを強めるのではなく、関わり方自体を調整する視点を持つ必要があると考えた。
以上、記録として残しておく。




