『ふるさとは、遠くにありて思うもの、そして悲しく歌うもの』 BY 室生犀星
おれのふるさとは遠くないし、悲しくも歌わないが
とにかく変わった町だ。
サコッペと以前、『府中を探るツアー』を実行したが
『思った通り変な町』という再確認をしただけで終わってしまった。
一見平凡な田舎町だが昔っから人がいるだけあって
一筋縄ではいかない何かがある。
国府とは、今から約1300年~800年前の
奈良・平安朝の律令時代、国ごとに置かれた政治の中心都市であるが
何せその国府の中心と書いて『府中』である。
本当かどうかは知らないがロマンのある話じゃないか。
土地柄って言うか口ではうまく説明できないが
とにかく濃い連中が集まっているとは思う。
変わっているのは気質だけではない。
実は言葉がすごく奇妙なのだ。
広島県内にありながら
語尾に「みゃあ」「きゃあ」「にゃあ」を平気でつける。
名古屋の言葉のように。
俺の町では特にその傾向が強い。
というかその言葉を一手に担っていると言っていいかも知れない。
例)
「うまい」=「うみゃ~」
「お前」=「おみゃ~」
「本当か?」=「ほんまきゃあ?」
「何してるんだ」=「何しょおるんにゃあ」
会話ではこんな感じである。
「お前、何言ってんだ?正気か?」=「おみゃー、何よーるんにゃあ?正気きゃあ?」
もう一回言う。広島県内の会話である。
俺達の町に観光に来た人は住民が話す言葉を聞いたら
降りたった駅名を確認すること間違いないだろう。
高校時代からの友人、やまさんも
岡山県の代々木ゼミナールの寮に入って
方言で喋りまくっていたら、速攻
「みゃあ星人」という仇名をつけられた。
今は離れた街で暮らしている俺だが
以前思い立って故郷、府中に立ち寄り十数年ぶりに
ガキの頃に通っていたお好み焼き屋に行ってみた。
夕方、六時過ぎ、夕食には少し早いがまぁいいか。
いつ以来だろうか?懐かしさに胸が詰まりつつ店に入る。
以前はお婆さんが作っていたが、代変わりしたのか
中年のおばちゃんが鉄板の前でバタバタ作業をしていた。
見たところ客は一人もいないが
田舎だけあって自宅から電話注文しての
「持ち帰り」もよくあるのが府中のお好み焼きなのだ。
俺の愛した「肉玉うどん入りW」
味は変わっているのだろうか?
それとも変わらぬ味に感動させていただけるのか?
久しぶりの故郷はいいッ!!
店の扉を空ける1秒ほどの間に瞬時に思いを馳せる俺。
ところが、こちらの存在を認めた店のおばさんは
困ったように聞いてきた?
「食べてです?」
もう一度言う。
「食べてです?」だ。
「いらっしゃいませ」ではなく「食べてです?」???
生まれてからこのかた星の数ほど外食してきた俺だが
そんな挨拶は初めてだ。
「食べてです?」は標準語に直すと「食べるのですか?」の意味だ。
しかし飲食店に入る目的は99%「食べる」ことに決まっている。
狂ったのか?ババア。
店内を冷静に見てみるとやけに小奇麗に片付いている。
鉄板もピカピカだ。
ははーん。
店を閉める直前に客が来たもんだから
「食べてです?」=「うちで食べていかれるのですか?」
と聞いてきたんだな。
いくら「仕事終わりモード」になってしまっていたにせよ
お客様に向かってそんな物言いあるか?しかし。
迷惑に思っても笑顔を搾り出し対応するのが客商売ってもんだ。
そんなにクローズしたかったら
俺たちが食ってる最中にこれ見よがしに
看板を引き、暖簾を下げたらいいじゃないかい。
今はまだ夕方六時過ぎ。
普通の感覚ではここからが、かきいれ時だろうに。
地場の常連の上がりだけで食えているもんだから
たまの一見さんには、剣もホロロの対応がこの店の流儀か?
ムッとしながら店を出てふと思った。
時代に逆行しているのではない。
俺がガキのころからずっとこうだったのだ。
そしてこれもまた故郷のひとつの顔だと・・・。
時間の経過とともに
異邦人になってしまった自分。
その夜、俺は声を出さずに一人で泣いた。