JR西日本の山崎前社長が、JR宝塚線の脱線事故で、「危険は予知できなかった」という理由で「無罪」を主張したと報道された。
大きな争点は、現場のカーブが急曲線に付け替えられた当時、鉄道本部長だった山崎前社長にATS(自動列車停止装置)を整備する義務があったかどうかにかかっているらしいが、それに対して「危険は予知できなかった」というのが、山崎前社長とその弁護団の主張のようである。
当時の「鉄道業界」の常識まで持ち出して、自らの責任を回避しようということらしいが、「ちょっと待ってもらいたい」と言いたい。「危険の認識に、あまりにも甘さがあったのではないか」と。
鉄道に限らず、飛行機や自動車等々の乗り物には、どのような場合でも、「危険」というものはついて回る。「信号」や「スピード制限」に至るまで、「危険」を予想して設置されている道具や法令は数知れずある。
交差点で「信号」がつけられているのは、放置しておけば「接触」や「衝突」の危険があるからであり、「スピード制限」が設けられているのは、人間の(運転)技術で制御できなくなるのを恐れてのことである。
ことほど左様に「危ないこと」から人間の生命を守ろうとしているのが「常識」であり、まず動くもの(走るもの)には「危険」を誘発させるものがあるというのが初歩的な認識であるはずである。
スピードが速くなれば、なお一層そうした「認識」は幅広く求められると言っていい。
それを、「危険は予知できなかった」という弁解は、小さな子供が狭いところでボール投げをしていて人家のガラスを割ったときの態度と変わりがない。
「危険は予知できなかった」と言うより、「予知する能力がなかった(要するにバカだった)」というだけのことだと気づいて欲しいものである。
