若いころ、仕事をなくしてNHKの外務員の仕事をしたことがある。
言わずと知れた「受信料」の徴収とBSアンテナのある家庭に「BS」料金の支払いを促すのが仕事であった。
毎日毎日、集金バッグと割り当てられた地域の視聴者の名簿を抱えて訪問する厳しい仕事であった。テレビのある家庭でも料金を払っていないところが多く、その徴収を促すのは簡単に行かないことが殆どであった。
その断わりの多くは、「払っていないところが多いじゃないか。皆が払えばうちも払うよ」というのであるが、中には「NHKはコマーシャルをしないと言いながら、自分のところのコマーシャルはやっているではないか!」と言う人もいた。「自分のところのコマーシャル」というのは、「今度、こういう番組が始まりますから見てください」というようなもので、企業の商品やサービスを宣伝するものでないのはもちろんである。
「まあ、払う気がないから何でもイチャモンをつけるんだな」と、その時は思ったものである。
ところが、最近のNHKを見ていると、ちょっとひどいじゃないかと思われるようなことが盛んに行われているように思えてならないのだ。
いま、NHKではテレビ小説「カーネーション」を放映中だが、ニュース番組でも取り上げられるのには「うん?」と思わざるを得ない。
ぼくはコマーシャルがあまり好きではないのだが(民放の場合、コマーシャルで成り立っているのはわかるのだが)、NHKも、実際、コマーシャルと呼んでもいいような内容のものを放送しているのにはがっくりである。
ぼくは、夕方の6時からのニュースを欠かさず見ているが、その中で、「カーネーションに出演している○○さんにインタビューしました」といったことを流していたり、昼の番組で、「スタジオパークからこんにちは」だったかに、カーネーションに出演している俳優を呼んだりと、あからさまに自局の番組の宣伝に余念がない。まあ、コマーシャルを流せないから仕方がないかと思ったりもするのだが、「ニュース番組に登場させることはないだろう」と思うのはぼくだけだろうか。ニュースはニュースとして、もっと報道しなければならないことがあるのではないかと思うのである。
たまたま放映したテレビ小説が大当たりして、一種の旋風を起こしたというのなら「ニュース」の価値はあるかも知れないが、現在では、無理矢理「宣伝」しているようにしかとれないのは、元NHK職員(?)としては情けない限りである。
福島の人々は、震災のあと、原発事故の影響で苦しんでいる。
政治家となれば、産業のことを考えたり、いろいろな思惑から「脱原発」を標榜できないでいる。
しかし、ぼくはこんなときこそ「脱原発」を叫びたい。大江健三郎さんが、口火を切って「原発は要らない!」と叫んだことを大きく評価している。
できれば、ぼくもできる範囲で「脱原発」を叫びたいが、組織もなく、時間的な問題もあって、どうにもできないでいる。
考えてみれば、「原発」に「安全性」というものがあるのかどうか、新聞やテレビの報道を見る限り、「?」と思うことばかりである。
事故のあとも風評被害に苦しみ、除染すら進まないし、先々のことを考えると、「不安」ばかりが重なっている。
すべては「原子」という「得体の知れない」物質のおかげである(辛うじて、「原子」が役立っていると思えるのは医療の分野だけのように思われる)。人間が「制御」できないものを人間社会に取り入れること自体間違っているのではないだろうか。
発電の30パーセントは原発に依存しているというが、最近の東電の原発依存率は(定期点検等を含めて)すこぶる小さなものになっている。それでも今夏の電力需給が厳しいというほどのこともなく推移しているのだから、「原発はなくても生活はできる」と断言してもいい。
政治的に、東北の「地方行政」に関わっている人は、東電から受け取る「お金(どういう名目だったか忘れた)」をあてにしているらしいが、お金などはどうにでもなるものである。
何よりも、「人の命」が大切だという思いが欠けているように思えてならないのである。
運動会シーズンである。
わが家の近くには、小学校・中学校が4校ほどあり、先日から運動会練習の声が聞こえる。
スピーカーから聞こえる声を聞くと、言うことがしっかりしているから多分中学校の練習の声らしい。
この運動会シーズンになると、思い出すのが小学生時代の自分の不甲斐ない走りの成績である。
クラス1ののっぽだったにも関わらず、走るのは常にドンケツ。運動会シーズンのくるのが憂鬱だったのを覚えている(笑)。
どのくらい遅かったかと言うと、「借り物競争(見学に来ている父兄から何かを借りて走る競争)」で、「何も持たずに(つまり、借り物をしないで)走れ」というラッキーなカードを引き当て、他の者が借り物で右往左往しているのに、そのまま悠々と走っていたら、何を借りたのか、借り物で時間をとられたはずの男がぼくを追い越して行ってしまったのである(笑)。
それも、1人ならず2人まで抜かれたのだから悲惨であった(笑)。
別に走るのが遅いだけでコンプレックスを抱かなかったけれども、走るのが速かった母の自慢話には閉口したものだ。
中学時代になって、背の高さからバレーボール部からお声がかかり、3年間バレーボールで頑張れたのは、運動神経そのものは悪くなかった証しだと思っている(笑)。
わが家の近くには、小学校・中学校が4校ほどあり、先日から運動会練習の声が聞こえる。
スピーカーから聞こえる声を聞くと、言うことがしっかりしているから多分中学校の練習の声らしい。
この運動会シーズンになると、思い出すのが小学生時代の自分の不甲斐ない走りの成績である。
クラス1ののっぽだったにも関わらず、走るのは常にドンケツ。運動会シーズンのくるのが憂鬱だったのを覚えている(笑)。
どのくらい遅かったかと言うと、「借り物競争(見学に来ている父兄から何かを借りて走る競争)」で、「何も持たずに(つまり、借り物をしないで)走れ」というラッキーなカードを引き当て、他の者が借り物で右往左往しているのに、そのまま悠々と走っていたら、何を借りたのか、借り物で時間をとられたはずの男がぼくを追い越して行ってしまったのである(笑)。
それも、1人ならず2人まで抜かれたのだから悲惨であった(笑)。
別に走るのが遅いだけでコンプレックスを抱かなかったけれども、走るのが速かった母の自慢話には閉口したものだ。
中学時代になって、背の高さからバレーボール部からお声がかかり、3年間バレーボールで頑張れたのは、運動神経そのものは悪くなかった証しだと思っている(笑)。
