【影誉メモ】
いつぞや(2024年に入ってから)の夜お散歩中の出来事。
いつもの様に離合する場所も限定的になる、歩道の無い狭いバス通りを右側通行で歩いていたところ・・・。
左後ろでクルマが近づく気配がしたので、右端に寄ってちっちゃくなっていました。
そのクルマが踏んだ何かの音「タンッ!」か、エアブレーキの「ぷしゅ!」か、何かの音にちょっとビックリした瞬間
そのクルマのドライバーさんの声が。
同時にそのクルマが「徳島バス」の路線バスだということが見てとれました。
「ごめんよぉ」って。プロドライバーの優しい運転。ちょっぴり感動しました。
今日もお立ち寄り下さいましてありがとうございます。
自称妄想性パーソナリティー障害NEGHiです。かけた情は水に流せず、受けた恩は石に刻んでいません。
これじゃ幸せな訳ないか。ウソつきじゃん。
この出来事があってすぐにブログに書こうと思っていたのに、ついつい先延ばしにして忘れかけていました。
石に刻むのは大変なので、ブログに刻んで自分の運転への教訓にさせて頂きます。
結局、自分を省みず、いつかは忘れちゃうんでしょうけど。
かけた情は水に流せ、受けた恩は石に刻め」
【どうでもいいメモ】
Aさん:新車買ったけど、交通事故で死者が5人出たから免許返納してよかった。
Bさん:紅麹製品愛用してたけど、死者が5人出たから食べるのをやめよう。
Cさん:国が、売国◯が、メディアが、ワクチンの事実を隠す目的で紅麹紅麹と連呼してる。国が不安を煽っている。
私:皆さん情報に踊らされ過ぎ、過度に恐れ過ぎなんちゃう?ドヤ顔で言うことなの?
実はAさんだけは「架空」の人物。こんな意思表示する人見たことない。でもホントに居たら、買った新車に乗らないのは勿体ない。Bさんは割とネットやメディアでは見る。理解は出来るけど、製造工程の問題ならどんな加工食品にもあり得るし、自家製の野菜にだってカビ由来の毒を食らうリスクは逃れられない。「"より"ベターな食の安全」はあっても食の安全に完全無欠は無い。先人の犠牲や失敗があったから既知の安全を得ただけ。
Cさんは思いの外ネット上(だけ?)では意外と多い。Cさんの様に在住中、滞在中の「国」や「国民性」「政治家」が嫌い(っぽく見える)人に限って、海外移住への感心は皆無に見える。Cさん、あなた何処の国なら満足出来るの?どの国に憧れてるの?そんな国があるなら、ご自身が先ず移住すればいいのでは?ご自身が国のトップに立って替えればいいのでは?
(私の印象をメモしておきました)
・令和5年中の交通事故による死者数は、2,678人/重傷者数 27,636人
・東日本大震災による死者数およそ1万5千900人
・令和5年中の労働災害発生状況として報告された死亡者数677人
・1歳未満(これも"基準")にハチミツを与えてはならない。ボツリヌス菌は熱に強いが大人は腸内細菌がボツリヌス菌に勝つからハチミツを食べられる。
・小林製薬の紅麹製品健康被害問題で関連が疑われている死者5人(今のところ確か5人と報道されていたかと。)/入院者数今のところ200人未満
・人の免疫は、全ての微生物を排除するのではなく、常在菌と上手に共生しながら、進化の道をたどってきた。
・ヒトの体は約30兆個の細胞でできている。対して体内外に生息する常在菌の数は40〜100兆個あってヒトの免疫機能、抵抗力に強く関わっている
「母数」をみれば恐れるに足りないことが見えてくる。
自分の内面の不安や矛盾にどう「折り合い」をつけるか。
「通常ではあり得ないこと」がたまたま起こった時、なぜか一部のヒトはその折り合いに自信が無くて人からの認められることを待っている様に感じる。こんな認知バイアスと関係してるんじゃないかな・・・と。
10.プライミング効果(Priming)
28.あいまいさ回避(Ambiguity aversion)
36.いいカモ効果(The Village idiot effect)
43.ネガティブなソーシャルプルーフ(Negative social proof)
63.物語の誤謬(Narrative fallacy)
※番号は「勘違いが人を動かすー教養としての行動経済学入門ー 巻末の人を動かす71の認知バイアス から
皆さんは「介護レク」(介護現場でのレクリエーション)についてどのような印象をお持ちでしょうか?
独り言が長くなりました。ここからが本題です。
色んなレクリエーションがあるし、それぞれ楽しさもあるとは思います。
なので、特定のレクを挙げて、これは楽しくないとか言うのは心苦しいので、"NEGHiが苦手なだけ"、食わず嫌いなだけだと理解して頂ければ助かります。
なんというかこう・・・。"孤独"なレクリエーションが多い様に思うのです。「レクリエーション」とは「Re」+「Creation」。
つまり「再創造」。だから一人で黙々と何かを創造しても全く構わない筈なんですけど、そうなると「皆で一斉に一緒にやりましょう」っていうのが「なんか違う」って・・・。違和感を感じるのです。
「余暇」っていうと1人1人勝手に「塗り絵」でも「手芸工作」やってても違和感ないと思うのですが、レクリエーションっていうとどうしても「みんなで」とか「グループで」となって、介護職員が「音頭を取る」みたいな。
で、「音頭を取る」介護職員が楽しんでいるかというと、これが「やらされる」と実に「恥ずかしい」し「つまらない」。
そんな経験をした人って私だけじゃないでしょ?きっと心当たりあるでしょ?あると言って~。笑
恥ずかしがってる私を見て喜んでくれる人もいらっしゃいますし、それはそれで楽しいけど、それすらスベったらもっと恥ずかしいですし・・・。ねぇ。
この「つまらなさ」とか「スベってる感」。子どもの頃に友達の家に遊びに行った時の感覚と共通するところがある様にも思います。2~3人で友達のお宅に行って、そのお宅のお母さんがおやつとか出してくれるのですが、その子のお宅におじゃましてから、おいとまするまで殆どの時間、皆黙ってその子の漫画本を黙々と読んでるという・・・。
他に遊ぶことが無かったといえばそれまでかも知れませんが、せっかく友達とふれあう機会なのに、黙って自分と向き合うしかない。みたいな時間がなんとも居心地が悪かった様に記憶しています。
周りの友人も自分も内向的だったのでしょうかね。自ら「外で遊ぼう」とか言える程活発じゃなかったし。
そんな訳で介護レクに前向きに取り組んでいらっしゃる方には大変申し訳ないのですが、私にとってはある意味「トラウマ」。
そこでなんとか楽しく取り組めそうな方法はないものかと・・・。
インスタグラムでは福祉事業所の公式アカウントや福祉系のお仕事をされている方のアカウントをフォローさせて頂いたりしています。インスタグラムだと動画でボディメカニクスなどの介護技術を動画で公開して下さっていて、無料でこれらの情報が入るのでありがたいです。
先日「これはおもしろい!」と思った介護レクの動画がありましたので、メモしておきたいと思います。
高齢者xボルダリング って発想が驚愕です。"常識"に縛られてたらこんな楽しい発想出ないでしょ。
動画では二色を交互に掴んで動かすというルールでやっていました。
色を限定することで脳トレ的要素を持たせられるし、難易度も設定出来ます。
難易度を変えることが出来るといってもルールそのものは至って簡単でわかりやすい。
ルールの適用も「アナログ」なのでスマホゲームやテレビゲームと違って、しくじっても見逃されたり、ウケたり。
周りの皆が「審判」だから皆が楽しい。
脚立と段ボールと布、ガムテープなどで作られている様です。
手で掴むところは
パイプガードっていうのかな?
怪我の防止に使っていたものを再利用して作れそうです。
座って行う「ボルダリング」。車いすの方でも楽しめますし、片手で回すことも出来るでしょう。片麻痺の方でも楽しんで頂けそうです。
装置を作るのも楽しそう。
掴むところの色ごとに役割分担したり、作業を分担することで"掴み"の長さに変化(個性)が出たり。
楽しいとか楽しくないとか無く、毎日のルーティンとして手順通りを遵守する。これもとても大事だとは思いますが、普段使わない筋肉や普段使わない脳の部位を刺激するという目線も大切なんじゃないかな。
ただ、職員さんも利用者さんも「レクがつまらない」「レクが苦手」という悩みはよく話題になっている様に思います。
介護レクの書籍も数多あるみたいですが、動画の方が単に伝わりやすいからなのかもしれません。介護レクに限っては本よりも動画の方が充実してる様に感じます。いずれにしても緩急大事だと思います。
身体を動かしたり、脳を刺激したりを目的に実際にゲーム機を利用している施設もあるみたいですが、それだとプレーヤーをジャッジするのが機械になってしまう様に思います。案内人は介護職員。でもジャッジするのは機械。得点をつけるのも機械。
得意な人が一人勝ち・・・。
機械が権力を持っているところが「つまらない」のかもしれません。
手作りボルダリングゲームなら、職員は案内しつつ応援しつつ見守る。職員が甘々ジャッジをしても誰かが機嫌を損ねることもああまりなさそうだし、皆でジャッジすればとりあえず不機嫌になりそうな人のご機嫌トリをしたり。日頃の個性から脚色も容易につけられそう。都合良すぎる考えだけど。笑
皆さんは「介護レク」といえばどんなイメージですか?
皆でゲームをするなら、やっぱりゲーム機派?手作りゲーム派?
なんだか手作りゲームに誘導しちゃった様な格好ですが、あなたはあなたのままで良いと思います。
今日も私の内面に向き合って下さりありがとう。