「道しるべ」という言葉は、「しるべ」だけでも「道案内」という意味になる。「しるべ」は「行く道を知るための方向や手掛かり」という意味から、「案内役となる人や物」を指す言葉として、平安時代から使われてきた。

「しるべ」は「しる」と「べ」に分けられ、漢字では「しる」は「知る」、「べ」は「方」と書く。「方」は「進んで行く先」などの意味がある「行方(ゆくえ)」の「方」と同じで、「その辺り、その方向」という意味を表している。つまり、「しるべ」は「知っている方向」となり、「道しるべ」は「知っている道の方向を案内すること」を表した言葉である。

また、「しるべ」は「知る辺」や「導」「標」とも書き、「道の案内をすること、教え導くこと、知っている人」などの意味で使われる。「知る辺のない土地」「知る辺を頼る」のような使われ方がされる。その他、現在ではあまり使われないが「道案内する」という意味の動詞で「しるべする」という言葉もある。

 

 

 

 

 

【目的と目標】

 

 

図書館で借りてきた本に「目的と目標は分けなければ達成できない」という見出しがありました。

 

前に話題にしたかもしれませんが、手話でも「目的」と「目標」に微妙な表現の違いがある様です。

手話での違いについては、アメブロで言及されている方がいらっしゃいました。

 

 

 

手話辞典によっては「目的」も「目標」も同じ表現としているものもある様です。私は「目的」と「目標」の手話表現の使い分けとして、「胸の前で示す」と「顔の前で示す」の使い分けをどこかで学びました。

 

図書館で借りた本は「脳に悪い7つの習慣」という本で、手話表現の違いについて書かれている訳ではありません。

ただ、「目的」と「目標」は分けて考えなければ「達成」は出来ないと書かれています。

 

漢字の違いは「的(まと)」と「標(しるべ)」の違いということになります。

こうして漢字を分解して訓読みにしてみると違いがよくわかってきます。

 

「まと」は下差しコレのことですよね。皆さんご存知の通り。

 

イラストの様な中心の白い「まと」のことを「霞的」といい、中心に黒丸が描かれた「まと」を「星的」というそうです。

星的は主に大学での弓道で使われるそうです。「気まぐれ」で「霞」「星」を取り替える訳ではないんですね。

「霞的」も「星的」も、的には中心を「案内する」「しるし」(あえて平仮名で書きました)が描かれています。

 

もし「まと」が真っ白や真っ黒なら、それは「まと」という「矢の行き先」、ゴールのある「場所」を表すだけのモノになりますよね。中心が案内されていません。

そこへ道路標識などと同じ様に「標識」(的の標識は「霞み(白丸)」や「星(黒丸)」)、つまり「しるべ」が付加されているから「目的」であって「目標」にもなり得ているといえるかと思います。

 

故に「目的」と「目標」の区別がイメージしにくく、混用してしまうことが多いのだと思います。

 

次に「しるべ」について「知るべぇ」?

冒頭に書いた様に「しるべ」の語源は「知る方(しるべ)」だそうです。

まとに描かれた「星」「霞」がまとの「中心を知るための」「知る方(しるべ)」。

 

「知る方法」とか「目指すべき方向を知る・案内する」ことを名詞化したのが「標」(しるべ)や「導」(しるべ)ということになりましょうか。「しる」という動詞を「しる」の発音を使って名詞化した様な感じ?

 

で、その「知る」という動詞を名詞化した、数多ある「しるべ」から、あなた自身、私自身が自分の「学び」にしようとする行為のことを何というと思いますか?

 

そう。「学ぶ」です。

いやいや、そうなんだけどあせる

「しるべ」という名詞を「知ろうとする行為」という意味での動詞にすると・・・

 

「調べる」じゃないでしょうか。「調べる」を再度名詞にすると「しらべ」ですが、ややこしくなるので「しらべ」についてはまたの機会にしらべることとしましょう。

 

 

 

 

 

「知る」は「識る」とも書きます。「認める」という漢字とあわせて「認知」や「認識」としても使いますよね。

数多ある「知識」(知る方法)の中からひとつ、あるいは幾つかを自分に必要だと「認め」選択している訳ですね。

どれを認めるかを決めるために調べる(知ららんべる)訳です。

 

そう考えると、他人が調べることが「偏っている」のは当然のことと言えるんじゃないでしょうかね。

「偏っていない」ブログを読んで何が学べるのでしょうか?何を信用出来るでしょう。

「言う事が偏らない」=「言動のブレがある」

 

 

信用されないブログを目指してる訳ではないので、私のブログは今後も「かたより」ます。

ブレるブログよりブレ無いブログとして安心を提供したいと思っています。

昨日と今日とで言うことが違う様では信用して頂けないと思いますので。

 

目的(地)は同じでも使う「標(しるべ)」は人それぞれ違うのです。だから「目標」を持ち寄って話し会いが成立し、より良い「方(べ)」を「知る・識る」のです。

目的(地)が違う人がそれぞれ自分の「標」を持ち寄っても「話し合い」にはならないのです。

  

前回お話した「スターリンクトレイン」続報です。

 

スターリンク衛星の数は8月には5000に迫っている様です。私は19日に「偶然目撃」して奇蹟体験の様に喜んでいましたが、天然由来の星空を撮影される方にとっては、一度に多数の衛星が地球の周りに放出され、やがて散らばって行くことについて「光害」と言う方もいらっしゃる様です。

確かに言われてみれば心配です。マイクロソフトのAIが言うには2021年12月時点で地球を回っている人工衛星の総数は約1万2千だそうです。スターリンクプロジェクトは2019年5月の打ち上げ(60基)が最初だそうですが、スターリンクだけで年間1000基に迫る計算となります。

 

そんな現実、知っていようが知っていまいが、私たちにはどうすることも出来ません。

スペースX社が既に打ち上げた衛星は、せめて写真撮影を楽しんだり、「衛星スマホ」「インターネット」で利用させてもらっても、誰からも責められることはないんじゃないでしょうか。

 

・・・ということで、今夜もお散歩ついでにカメラの準備をして、20時7分を静かに待ちましたよ。

 

20時5分頃に別の人工衛星が見えたあと・・・

気付いたのが20時9分頃かな?

北西方向の空から昇ってきました。

 

垂直に近い「上昇」であまり「トレイン」っぽく無いですね。ガーン

 

こうすれば「トレイン」!照れ

(同じ写真を回転させただけ)

 

実はビデオカメラも用意して、スマホでも動画撮影も試みたのですが、結局スマホ撮影した写真しか「結果」が出ませんでした。

 

次の目標は一眼で連続撮影してタイムラプス動画でしょうかね。

 

星空星空星空

 

今日もここまでありがとう。

マタネッ(*^-゚)/~Bye♪