なりたい自分になる方法 -53ページ目

あるがままに受け入れよ


起こったことをそのまま、受け入れれば良いんだよ。
ものごとはあるがままの姿で、受け入れれば良いのさ。
それが、不幸な結果を克服する最初の一歩なんだ。
 
僕は僕の感覚でつかんだものを究極まで考えてゆくだろう。
そうやって僕は、僕の世界を創造してゆくんだ。

僕の理性、意志、愛といったものが世界となる。
そういうイメージを持ちたいと願っているんだ。



行動することの意味は、それをやりたいと想うかどうかで、出来るかどうかではないだろう。
出来ることが即やりたいことではない。

やりたいことが即出来ることでもない。
しかし、やりたいと望むことで結果が出るのかもしれない。

出来ないからやらないのではなく、やりたくないからやらないのだ。

人間は、自分の心に基づいて行動するものだ。
だから今を変えたければ、自分の意志で行動することなんだ。



自分がすでに持っているものに感謝する。
感謝することでいかに自分が恵まれているかを知るだろう。

感謝と寛容が大切なんだ。

例えば自己満足した人間というものは、退屈して未来に関心を持たなければならないだろう。
なぜなら命があるかぎり、希望は持つものだからだ。



死にたい気分から、夢も希望もない生活へ。
なりたい自分がまた見えなくなったね。

小さくまとまってしまったのかな?
現状で満足してしまったのかな?
ヤル気も書く気も湧いてこないね。

こんな夜はきっと・・・さっさと寝てしまうことだよ。



死にたい気分

過去の記事を確認したら、禁煙したのは10月17日だった。
早いものだね・・・もう一ヶ月以上経ってしまった。

いつの間にか12月という感じが、今の僕にはピッタリする。
今年は小春日和が多かった所為で、紅葉の時期も狂ってしまったようだ。

落葉樹は冬の季節を乗り越えるために自らの葉を落とす。
ちょうどシャッターを下ろすように葉と枝の間を遮断する。

光合成によって作られた栄養は、もう母である樹には届かない。
葉っぱは自らの役割を終えたのだ。

・・・そうして大地へ帰ってゆく。



自然は本当に良く出来ているね。
それに比べて、僕達人間はなんて不自然な生き物なんだろう。

使命を持って生まれてきたのならば、その使命を果たして死んでゆければ良いと想うのだけれど・・・。

自分のことさえ、よく分からない。
死に場所さえ、分からない。



時々、死にたい気分になるんだ。

生きることに意味なんてなくて、僕は何かの間違いで生きているんじゃないのかな?って気分になる。

誰からも必要とされてなくて、むしろ邪魔なだけなんじゃないのかな?なんて・・・。



気分の波に揺られて、流されて、僕はねむりにつくだろう。

タバコを吸いたい気分。

死にたい気分。

何にもしたくない気分。

・・・レクイエムを聞いている。



ひとりで見る夢は・・・


「ひとりで見る夢は夢でしかない。
   しかし誰かと見る夢は現実だ。」 オノ・ヨーコ



「言い訳を せつない嘘を ついていた
   あの頃の夢 果たせないまま」 変人




”夢みるちから”というのがあるのだろう。

それは青春の輝きなのかな・・・。

だけど僕はひとりで夢を見ていたんだね。

それは・・・ただの夢でしかないんだ。



みんなが夢を見るのならば・・・ジョン・レノンが歌ったように・・・世界に平和が訪れるのだろう。

みんなが本気で願うのならば・・・夢は現実になるのだろう。



「どうせ上手くゆかないさ」

「どうせ僕なんてちっぽけな存在なんだ」

夢を見ることも諦めてしまったように、僕は生きてきた。

このまま夢を見ることも無く、僕は死んでゆくのかな。

誰かと夢を見ることもなく・・・?


なりたい自分が、かなえたい夢があったんじゃないかな?

いつだって、遅すぎることはないのかな?

だけどひとりで見る夢は・・・



ヒーローになる方法



「ヒーローになる方法」

夜寝る前にドラマの主人公になる夢を想い描きましょう。

自分の好きなようにドラマのシナリオを書いて、ヒーローになりましょう。

潜在意識は、”感情”を記憶します。

ヒーローになった夢を想い描いて、幸せで満ち足りた気分に浸ってください。

潜在意識に夢と現実との区別はありません。

だから、ヒーローになって活躍するいい気分を潜在意識は記憶してゆきます。

3ヶ月続けてください。

あなたの人生が変わるかも?(^^)



「女神を誘惑」

ヒーローになるためには、謙虚さとユーモアと性格の良さが大事です。

何故なら、勝利の女神はそういう人間が好きだからです。

運命について文句を言う者に、女神が与えるものは軽蔑です。

あきらめないヒーローにしか女神は微笑みません。

心から女神を愛したものだけが、彼女から愛されることになるのです。

[本気]とは、[あきらめること]を知らないことです。



「人間の弱さや醜さを愛せるのがヒーローだ」

ヒーローには情が必要です。

人間の善い所だけしか認めないようでは、ヒーロー失格です。

光ある所、影もあります。

強さもあれば、弱さもあるのが人間です。

醜いと想うものがあることで、美しさが分かるのかも知れません。

好き嫌いを言わずに、何でも美味しいと食べてくれるのがヒーローなのです。

ありのままのすべてを受け入れてくれるのがヒーローなのです。



「どっちが大事?」

ヒーローは相手のことを思いやって、自分のことは考えません。

考えるより先に行動を起こします。

しかも、それが結局良かったということになります。

ヒーローは時として賢明ではない、けっこうバカなことをやってしまうものです。

そこがまた魅力的だったりします。



「ヒーローとは!?」

はじめから強い人間なんていません。

もしも強い人間だったなら、弱い立場の人達を守ってあげることも出来るでしょう。

でも弱さに甘んじている人間には、そんなことを思いやることさえ出来ません。

そんなことがある一方で、強くなりたいと願う人間もいます。

今の自分から少しでも強くなろうと努力する人間がいます。

いつだって遅すぎることはありません。

毎日が新たな出発点になるんだと信じてゆきたい。

ヒーローとは、ヒーローになろうと努力することが出来る人間なんです!



ニュースキャスター

子供の頃、本を読むことは不思議な体験をすることと同じだった。

まるで魔法の国の扉を開くように、想像力は無限の翼を広げて、宇宙の果てまで飛んでゆくようだった。

大きくなるにつれて、無理に勉強というものをしなければならなくなり、僕は窮屈になって行く。

本を読むことは、試験のためであったり、知識のためであったりするようになった。

それでも一部の本は、やはり純粋に楽しみのためだった。

そして、見知らぬ世界への水先案内人だった。


本を読む事で、自分がいま居る世界がどういう世界なのか?知ることが出来たような気がする。

それはそういう気持ちになれただけのことかもしれないが、ひとつだけ大人になれた気がしたものだ。

「ニュースキャスター」を読んで、僕はこういう世界に住んでいるのかも知れないなって想った時、なんだか哀しくなった。

誰のために涙を零すのか?

何のために哀しむのか?

そんなことさえ、分からなくなってしまったけれど・・・。



まだ感受性が尖がっていた頃、僕は絶望を卵のように抱え込んでいた。

人間不信に震えていた。

世界が滅亡すればいいと想っていた。

自分が居る世界が分からなくて、ひどく頼りない気分がしたものだ。




今はずいぶんと楽に生きられるようになった。

もう、あんな気分の世界に戻ることはないだろう。

時々、懐かしいような、哀しいような気分を味わっている。

この小説を読んで、そんなことを感じている。



自分を好きになる方法(2)



自分を好きになれなくて苦しむことがあった。

自己嫌悪とか自己欺瞞とかそんな言葉があったよね。

でもさ、色々考えたけどさ、結局自分を救うのは自分しか居ないと想うんだ。

「他力本願」は、僕には合わない。

僕は自分を捨てて、何かに頼るような考え方は好きじゃない。

自分が罪深くて、神から助けてもらわなければならないなんて、好きじゃない。

人間はきっと善と悪が混ざっていて、その混乱の中から自分で抜け出して行くものだと想いたい。

自分の中にきっと、答えだって、目標だってあるんだよ。


例えば、自分の中にタネがあって、それを育ててゆくんだ。

それが使命だったり、才能だったりしないかな?

そんな考え方が良いと想うんだ。


もっと自分を好きになれば、もっと幸せになれるよ。

何故なら、自分を嫌うから苦しいんだもの。


無理矢理笑ってみると、心が軽くなるんだって。

だからもっと自分を好きになれば、きっと心がハッピーになれるよ。

そういう風に考えようよ。

ある意味、バカになればいいのさ。

他人の目を意識して、賢く見せようと想ってはダメだ。


なんだったら、引きこもって自分を見つめてみようよ。

世間体とか社会性とか、そういうものを捨ててみようよ。

もっと楽に生きて良いんだよ。

もっと自分を可愛がって良いんだよ。


一度、すべてを捨ててさ、自分と向き合ってみようよ。

親とか兄弟とか親戚とか、関係ないんだ。

自分を分かってやれるのも、自分を助けてやれるのも自分しか居ないと想ってみよう。


すべてを捨ててみること。

学校を捨ててみること。

家を出てみること。

親を捨ててみること。


すべてを捨てて、自分ひとりになって考えてみよう。

きっと自分を好きになる方法が見つかるはずなんだ。

僕もそうしたのだから。





[なりたい自分になる方法]

すべてを捨ててみる。

裸の自分と向き合ってみる。

分かるまで考えてみる。

自分を認めてあげる。

自分を好きになる。



自分を好きになる方法



例えば、

不幸な自分に安心しないこと。

変化を怖がらないこと。

自分を卑下しないこと。

自分を誤魔化さないこと。

もっと鈍感に図太くなること。

そういうことを自分の潜在意識まで刷り込むことなんだ。



ひとはそれぞれなんだから、出来ないこと、嫌いなことに執着しない。

それで、できること好きなことを優先してやるようにする。

小さなこと、細かいことに囚われていたら、完璧を目指しているうちに死んでしまうよ。

それはテストの解答を書くのと似ているかも知れない。

出来るところ、解っているところから書いてゆくよね。

試験の時間は限られている。

人の生きる時間も限りがある。

人生は好きなことだけやっている時間さえ足らないものなんだよ。



繰り返しの毎日を過ごしているようでも、よく見れば少しずつ違うものだ。

例えば、今日がとてもいい日だったから、明日も同じ様にいい日でありますようにと祈っても、必ずかなえられるわけではない。

それと同じ様に、絶望に包まれた今日も明日には希望の光が差すのかも知れない。

・・・だから人間は生きてゆける。

まだ見ぬ明日の朝に向かって、不安と希望を抱きしめながら眠ることが出来るのだ。



他人を好きになるのは簡単でも、信じることは難しいと想ったことは無いだろうか。

だから好きになった人が信じられない時、僕は苦しむのだ。

であるならば、

自分を好きになることは自分を信じることだ。

何があっても自分を信じ切ることだ。

でなければ、

自分を好きだとは言えないだろう。

自分を信じるということは最高の愛情表現なんだ。

例えば、

誰かが僕を信じていると言ってくれるなら、僕はどんなに嬉しいだろう。

僕を信じてくれる人が居る、と信じられることはどれほどの力に成るだろう。

それは愛していると言われることよりも、きっとすごいことなんだ。



他人の幸せや成功を、心から喜べるか。

ねたみや嫉妬を感じないか。

素直に「おめでとう、良かったね」と笑えるか。

他人の幸せを心から喜べる自分になったとき、もっと自分が好きになれるだろう。

自分の嫌な部分を認めてあげる、許してあげる、そういう自分になれたとき、もっと自分を好きになれるだろう。



答えはいつもシンプルなものなんだ。

僕がもっと幸せになりたいのなら、もっと自分を好きになればいいのさ。

自分を好きになれた分だけ僕は幸せになれるだろう。

幸せが溢れるぐらいになったなら、周りの人達に幸せを分け与えることだって出来るだろう。

自分で意識するにせよ、しないにせよ、幸せはあたりに広がってゆくだろう。

そういうものだと信じたい。

そんな風になれるのだと想いたい。





[なりたい自分になる方法]

もっと自分を好きになること。

「よく頑張ったね」とほめてあげること。


認めてあげることが一番嬉しいことなんだ。

自分だって、誰だって。



ハロウィンパーティー

イラスト:インスタント ラビット http://www.dear.ne.jp/~mikazuki/


禁煙してから2週間が経った。

時々、タバコを吸いたい気持ちが湧いてくる。

本当に吸いたいわけじゃない!

タバコを吸っていたときの記憶が甦るのだ。

この喫煙の習慣というものは、ひどく厭らしい。

僕は中毒患者のようにタバコが欲しくてたまらない!ということはない。

ただ昔のようにタバコを吸いたくなるのだ。

悪い習慣なのだ。

ただ欲しがるのだ。

其処には意味も理由も無い。

ただ習慣というからだの記憶が欲しがるのだ。

まるで失った愛を求めるかのように・・・。



他人を尊敬することが出来るのなら、この世界はずいぶんと過ごしやすくなるのだろう。

でも僕達は他人を容易に認めることが出来ないで居る。

人間を信用することが出来ないで居る。


人間は哀れな存在なのだ。


自分のすることが正解だと信じることが出来るのなら、僕はたぶん何でもできるのだろう。

自分のすることを正解だと信じることが出来無いから、僕は自信も持てないままなんだ。



今日はハロウィンパーティーだ。

1年の終わりだ。

今夜だけは僕達は自由になれるのかも。

哀れな人間たちに・・・

ひと時の夢を・・・





「僕は自分の目の前のことを一所懸命するのです。

僕は自分にかかわりのあることを大切にするのです。

僕は余計なことをやったり考えたりする暇は無いのです。

僕は自分の周りのことだけで精一杯なんです。」




無意味な世界



TVはなるべく見ないようにしているんだ。

見るとどうしても影響されてしまう。

洗脳されてしまうような気がして怖くなる。

TVの世界は虚構である。

何から何までウソで出来上がっている。

しかもそれを気づかせないように上手に隠している。

いかにも善人そうな顔をする。

人の善い僕はすっかり騙されてしまうんだ。



ランディさんの記事を読んでいるうちに、僕もTVの魔法から目が覚めた。

そしてもうひとつの魔法・・・ヒューマニズムと言う魔法も消えてゆくのを感じた。

アメリカ映画の得意技だったヒューマニズムという魔法は、いつの間にかジャスティスという名の暴力に取って代わられたようだ。

日本国憲法の大いなる理想を謳った「戦争放棄」と「平和への祈り」も消えてしまうのだろうか。



「現実的ではない」なんて・・・訳の分からない理由で多くの夢が消えてゆく。

「責任」の名の下に、多くの愛が消えてゆく。

何かに流されてしまうと自分がなくなってしまうんだよ。

ランディさんのつぶやきが僕の胸にも沁みてゆく。



「だけど、祈ることの魔法が、消えかけている。そんなもの無意味だと意味の世界が言うので、祈りという魔法が消え始めている……。」



祈りの魔法が無くなった世界で、僕達は何もできなくなってゆく。

最後の瞬間に僕が出来ることは、ただ祈ることだけだったのに・・・。


依存と自立について



依存するとは、他人に期待することであり、他のものに幸せにして欲しいと思うことである。

自立するとは、自分に期待することであり、自分で自分を幸せにするんだと思うことである。



自立した人間というものは、自分のほしいものを明確にすることが出来る。

するとそれを与えようという人間が現れるだろう。

それが出逢いというものだ。

それが自立した大人同士の付き合いというものだ。


依存する人間は、誰かに何かを与えてもらいたいと想っている。

だからいつでも満足出来ないのだ。

甘ったれた人間関係しか築けないのだ。

それではいつまで経っても幸せにはなれない。



自立した人間というのは、相手の方をきちんと向いている。

相手の目を見て、相手の話をよく聞いて、相手の意見・考えを尊重するものだ。

やさしい言葉や態度で接し、楽しい会話を心がけて、お互いに幸せになれることを考えて行動しているものである。

ジェントルマンなのだ。


一人で起つことが出来なければ、誰かを支えることは出来ないと想う。

僕は君を助けたい。

僕は君を守りたい。

でもそれは依存することではないだろう。

お互いに自らの足で起ってこそ、支えあってゆけるのだと想うんだ。

僕はそういう男になりたい。



[なりたい自分になる方法]

自分の人生は自分が主人公である。

ドラマのシナリオは自分で書くんだ。