ラブライブ虹ヶ咲のアニメをなぜ自分はあまり楽しめないかの分析 | サンシャインブログ

サンシャインブログ

オタクのブログ

虹ヶ咲のアニメが始まって2ヶ月が経ち、各アイドルの当番回が全て終了しました。
1話の出来は素晴らしく幸先のいいスタートを切ったように見えましたし、感動した回もありましたが、結局個人的にはあまり楽しめていないというのが正直なところです。
自分がなぜそうなってしまってるのか、分析してみたいと思います。
あくまで自分の分析であって、問題提起!運営に物申す!みたいのじゃないです。


  • 視聴者が知らないところで話が進んでいる
まず、侑たちが入る前の旧同好会について。
旧同好会は、かすみとせつ菜がぶつかり合うシーンはありましたが、それ以外はほとんど描かれていません。
それぞれ何か熱い思いをもって入部し、メンバーに出会い、そこで関係性が築かれていったはずです。
しかし、視聴者にはそこはわかりません。
しずく回では、かすみが私としずくの仲でしょ、みたいなことを言っていました。
きっと旧同好会時代から仲が良かったんだろうなと想像することはできるのですが、実際は知らないので、置いてけぼり感を食らいました。
また、せつ菜と和解し新しい同好会がスタートしたとき、旧同好会はそれなりに仲が良いのは分かりますが、新しく部員が入ったのに改めて自己紹介をしなかったのに違和感がありました。
まず、侑はアイドルをやる気がないのになぜ入部してきたのか、普通だったら気になるポイントだと思います。
部活にはマネージャーという役割もあったりはしますが、侑はマネージャーとして入部したのかというと微妙なところです。
スクスタのあなたのように作詞作曲ができるわけでもありません。
そのあたりの説明をしないで入部する、他メンバーも疑問を抱かない、というのはあまりに不自然です。
他には、日本語ペラペラの外国人がいるのは気になるポイントだと思います。
日本語上手ですね、どこ出身なんですか?みたいな会話くらいは普通はあると思いますが、描かれませんでした。
たぶん、アニメで描かれてないだけで、きっとそういうことはやってるはずなんです。
視聴者が知らないところで自己紹介をしてもうある程度仲良くなって仲間意識ができている。
視聴者は知らない間に仲良くなっている彼女たちを傍観することしかできないんです。
そこで自分は非常に疎外感を感じ、うまく作品世界に入り込めませんでした。

  • ルーツが描かれない
前のところと被る部分もありますが、この作品はとにかく回想シーンが少ない作風みたいです。
◯◯が好き、という設定は描かれても、なぜそれを好きになったのかという部分を過去に遡ってまで描くということはなかなかしない。
好みの問題でもあるとは思いますが、個人的にはこういう人生を送ってきたからこそ今があるという部分を見たい。
例えば、エマはなぜスクールアイドルをやるためだけに日本まで来たのかとかを見たくなってしまう。
スクールアイドルに感動したからってのはわかるのですが、相当な覚悟がないとできないことだろうし、家族の反対なんかもあったんじゃないかと想像してしまう。
そこには深いドラマがあるような気がしてならないんです。
でも、設定だけ語られ、具体的なエピソードは描かれないのは個人的には残念だなぁと思ってしまいます。
あとかすみはなんでやたらとコッペパンをもってるのかとか…
尺がないから仕方ないというのは、まぁ、わかりますが…
  • リアリティラインの乱高下
虹ヶ咲では、持ち曲もないしダンスの練習もしてないのに突然ライブができてしまうというシーンがあります。
第一話の時点で、歩夢が作曲をしてダンスを練習している余裕があっだとは思えませんが、歌っていました。
今までのシリーズでも、ミュージカル的に突然歌うシーンはありましたが、それはあくまでイメージシーンのように感じました。
ですが、虹ヶ咲は実際にそこで歌っていたという描写になっています。
ここは個人的にはすごく気になってしまいます。
例えば、超常的な現象を起こすアイテムや魔法のような特殊能力があるような世界であるなら、納得はできると思います。
しかし、虹ヶ咲は現実的な世界です。
こまけぇこたぁいいんだよ!と笑い飛ばせるくらいはちゃめちゃな勢いのある演出で突っ走ってる作品でもないように感じます。
ライブシーンだけ突然あまりにも非現実的になる。
炎が出たりとかああいうのはオーバーに表現している演出として全然納得はできるのですが、ど素人が突然即興でアカペラで歌って踊って人々を感動させましたってのは個人的にはどうしても納得がいかない。
百歩譲ってあれはこの世界では誰もが知ってるメジャーな曲で、それをカバーしていたとするなら、わからなくはないのですが、そう判断できるヒントはないように思えます。
さらに、このアニメはこういうものだからと諦めかけていたら、途中からある程度現実的なラインでライブをし始めます。
そこの統一感がないのは混乱しました。
構成上そうするしかなかったという事情を察することはできますが、それにしてももうちょっとやりようがあったのではないかと思ってしまいます。
あとはしずくの舞台です。
しずく回では序盤からもう一人の自分と対話しているという描写があり、最後の舞台でも同じようなシーンが出てきました。
現実的に考えればしずくが二人いるわけはないので、舞台上では誰かが演じているはずですし、実際部長が演じていましたというネタバラしがありました。
それは別に納得できるのですが、ステージ上に大雨が降るというファンタジックな演出の後に、突然現実に引き戻してくるという部分が引っかかります。
そうなると単なるアニメ的な誇張表現としてみたいたステージ上の雨も、これなんなの?実際に雨降らしてんの?と疑問に思ってしまう。
同じような例で言うと、愛のライブシーンは非現実なのに、間に挟まる観客の描写が現実的で現実に引き戻されてしまうあたりとか。
このようなことをされると、勢いでこまけぇこたぁいいんだよ!!!と突っ切ることができなくなってしまうように感じます。

  • 当番回が終わった後の空気化、侑の必要性
虹ヶ咲は9話まで各アイドルの当番回をやってきました。
毎回主役が変わっていくので、そのキャラの回は当然そのキャラがフィーチャーされます。
逆に言えば、それ以外のキャラはフィーチャーされません。
深い関係性があるキャラに関してはその限りではないですが、基本的には当番回が終わったら目立った出番は無くなってしまいます。(使い勝手が良いかすみはしょっちゅう目立ってますが)
序盤に当番回があったキャラはもう長い間まともに出番がないのでかなり印象が薄く感じます。
当番回で大きく成長したように見えても、その回でもう完結してしまっていて、その後は当たり障りのないセリフばかりなので連続性を感じません。
また、毎回主役が変わるので、本来の主人公である侑の活躍も少なくなっています。
果林が抱える悩みはエマが、しずくが抱える悩みはかすみが解決してしまいます。
そこに主人公である侑が入っていく余地はありません。
アイドルではない、作詞作曲ができるわけでもない、各キャラの悩みを解決してくれるわけではない、ではこの侑はなんのためにいるのでしょうか。
もちろんその辺りは10話からやっていくのだと思います。
しかし、10話まで辛抱してくれというのはあまりにも長い。
1クールアニメの構成としてはあまり美しくないように感じてしまいます。



他にもいろいろありますが、自分が感じてる違和感はだいたいこんなところです。
もちろん良いところもあります。
個人的には璃奈回と彼方回は文句なしの神回だと思っていますし、サブリメイションによるCGはこの手のアイドル系の物の中では他の追随を許さないレベルのクオリティだと思います。
ただ、ストーリーにうまくのめり込めてないとこんだけのハイクオリティなライブシーン でも印象が薄くなってしまうんですよね…

虹ヶ咲は全員がソロというのはわかっていたので、アニメは難しいだろうなぁというのはアニメ化前から思っていました。
こうなってしまうんじゃないかなぁと事前に予想していた事態がそのまんまアニメになっているので、まぁ、そうだよね…という感じなので、そんなに怒りとはないです。
あと自分は極度の日常系アニメアレルギーなので、そういう要素がいままでのシリーズより強いのも自分には合わないポイントだと思います。
楽しんで見てる人も大勢いますし、ただただ自分にはわない作風だっただけです。

嫌なら見るな!!!ってことですわなニヤリ

ぉゎ