好きなものが叩かれるということ | サンシャインブログ

サンシャインブログ

オタクのブログ

好きなものが叩かれると悲しいですよね。

僕はそのようなことがよくあります。

あえてマイナーなものを選んで他人とは違う自分を演出したいという欲求は全くないと言ったら嘘になりますが、それを差し引いても、そういうことが多いです。

みんなが好きになるようなものは幅広い層に受け入れられるようになっていてそれはそれで素晴らしいのですが、やっぱり一部の人にしか受け入れられないほど尖っているもの、その一部に自分がなれた時により深く刺さって自分の中でワンランク上の特別な好きになると思うのです。

だから、これは特別に大好きだ!ってものはほぼめちゃくちゃ叩かれています。

他の奴らとは違って俺は理解できちゃうんだよね〜とイキるのもいいんですけど、それもやっぱ強がりで、本音では自分は多くの人と良さを共有したいんだと思います。

でも、一部の人にした理解できないものだからこそ特別な好きになれているので、それは叶わぬ夢。

流行り物を渡り歩いて『みんな』の輪に入れたらどんなに楽だろうかとも思うのですが、やっぱり自分に嘘はつけないのです。

 

好きなものが叩かれると悲しい。

本当に特別に好きなものって、それはただの作品じゃなくてもはや自分の一部だったり、時には友達だったり、時には家族だったり、それくらいの感覚なんです。

だから叩かれると悲しいし、怒りが湧いてきます。

だからと言って、お前も好きになれとはもちろん言えません。

自分はこれは好きじゃないという感情は本物だし、それは大事にして欲しいと思う。

ファンとアンチがワーワー言い合うのも自分の気持ちを整理することができるしいいと思うんです。

でも問題はその割合が大きく傾いた時です。

いくら過激に叩いても言い返してくる信者もいない。

みんなが叩いてる。だから安心して自分も叩ける。

これがダメなものというのは常識であって絶対的に自分が正しい。

それくらい気が大きくなってしまう。

嫌いという感情は大事にしてほしいです。

でも、例えばそれがみんながみんな大絶賛しているものだったら、同じことが言えるのだろうか。

あの有名人が言ってる、海外でこう言われてる、みんなが言ってる、じゃなくて、自分の気持ちだけを言ってほしい。

自分は嫌いだと思った、それは正しいと思います。

でも、自分は好きだと思った、それも正しいんです。

99%の人が叩いていても1%の人は好きかもしれない。

その1%の人も正しいんです。

正しいのだから、1%の人ももっと自信を持って欲しい。

そういう状況になると、みんな叩いてるし自分は間違っているのではないかと思い、何も言わないでおこうとなってしまいがちです。

それで、こんなものを好きな人なんていやしないと勘違いされるのです。

空気読めなくても、仲間外れにされたとしても、自分の気持ちは大事にして欲しいと思います。

それが逆でもそうです。99%の人が絶賛していても、俺は好きじゃないと言ったっていいじゃないですか。

叩きたいという感情が先行してよくわからない妄想を根拠にこれはダメだと言うのは本当にやめて欲しいですけどね。

 

自分が好きな作品で、ファイナルファンタジー15というゲームがありまして、自分にとっては本当に一番好きなFF、一番好きなゲームと言えるくらい大好きで大事な作品です。

これがまぁボロクソに叩かれていまして、これを好きじゃない人がいるというのもわかるんですけど、俺たちFFファン、全ゲームファンがこんな作品の存在を許しませんみたいなノリでくるもんだから本当に頭にきますね。

少なくともここに一人、心の底からFF15が大好きな人間がいるということをネットの片隅に示しておきたいと思います。

 

ぉゎ。