日本を民主主義国家にしたのは、実質アメリカという前提で考えたうえで、そのアメリカは、民主主義の定義をこう謳っている。


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◼️民主主義とは、市民が直接、もしくは自由選挙で選ばれた代表を通じて、権限を行使し、市民としての義務を遂行する統治形態である。


◼️民主主義とは、人間の自由を守る一連の原則と慣行である。つまり、自由を制度化したものと言ってもいい。


◼️民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。

民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する。


◼️民主主義国は、全権が集中する中央政府を警戒し、政府機能を地方や地域に分散させる。

それは、地域レベルの政府・自治体が、市民にとって可能な限り身近で、対応が迅速でなければならないことを理解しているからである。


◼️民主主義国は、言論や信教の自由、法の下で平等な保護を受ける権利、そして政治的・経済的・文化的な生活を組織し、これらに全面的に参加する機会などの基本的人権を擁護することが、国の最も重要な機能のひとつであることを理解している。


◼️民主主義国は、すべての市民に対して開かれた、自由で公正な選挙を定期的に実施する。

民主主義における選挙は、独裁者や単一政党の隠れみのとなる見せかけの選挙ではなく、国民の支持を競うための真の競争でなければならない。


◼️民主主義は、政府を法の支配下に置き、すべての市民が法の下で平等な保護を受けること、そして市民の権利が法制度によって守られることを保障する。


◼️民主主義諸国のあり方は多様であり、それぞれの国の独自の政治・社会・文化生活を反映している。

民主主義諸国の基盤は、画一的な慣行ではなく、基本的な諸原則の上に置かれている。


◼️民主主義国の市民は、権利を持つだけでなく、政治制度に参加する責任を持つ。

その代わり、その政治制度は市民の権利と自由を保護する。


◼️民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。

民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。


マハトマ・ガンジーはこう述べている。

「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。」


https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3077/


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特に自分が、日本はできてないんじゃないか?と思ったのが、これです。


◼️民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。

民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する。


◼️民主主義国は、すべての市民に対して開かれた、自由で公正な選挙を定期的に実施する。

民主主義における選挙は、独裁者や単一政党の隠れみのとなる見せかけの選挙ではなく、国民の支持を競うための真の競争でなければならない。


◼️民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。

民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。




民主主義は多数派が正義となると思ってましたが、アメリカの民主主義の定義では、ただ単に多数派の意見を反映させるという事ではなく、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護とも書いてあります。


つまり、多数派の意見と個人および少数派の意見を議論して、両方を組み合わせて、ちょうどいい答えを導き出しましょうというのが、民主主義なのかなと捉えることができると思います。


なおかつ民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視すると書かれていて、全体的な合意に達するには譲歩が必要であることとも書いてあるので、多数派の意見と個人および少数派の意見を議論して、お互いに寛容・協力・譲歩を行って、そのうえで全体的な合意を得ましょうというのが、民主主義であると捉えることができます。

合意達成が常に可能だとは限らないことも書かれてる。



つまり民主主義は、個人個人が自分の意見・価値観・感性を自由に表現していいわけですよね。

日本国憲法でも、国民に保障されてる権利でもあります。


みんなが自分の意見を主張する中で、自分と同じ意見や反対意見があり、多数派・少数派に分かれることになるけれど、お互いの意見を尊重しながらも、相手の意見に対して寛容であり、協力的であり、譲歩を行いながら、議論を行いましょうねってことだと思うんです。

仕事の時とか考えると、自分の職場は民主主義的な議論ができてるなぁと思います。



ただ、社会全体で考えた時、メディアだったり、ネットで意見を主張する人達って、自分の意見が正しくて、自分と違う意見は間違っているという、偏った主張だけを認めて、逆の主張は完全否定する傾向にあるかなと思います。

特に近年の週刊誌関連の記事を話題にする人達も、完全に偏った思考じゃないですか。


ネットで意見を主張する人達やメディアは、中国共産党的な思考に近い気がする。

自分達の主張が絶対的な正義であり、自分達の主張に反発・否定する意見は一切認めず排除する。


つまり、ネットやメディアの世界では民主主義が成り立っていないと言えるのではないかと思います。

だから、ネットやメディアで主張されてる意見をそのまま鵜呑みにしてはいけないし、そういった意見に左右されてもいけないと思うんです。

偏った意見だけが正しいと思わずに、いろんな意見を見聞きしたうえで、自分の中でちょうどいい答えを導き出せばいいと思うんです。


極端な意見ばかりを鵜呑みにして、そういう意見ばかりを受け入れすぎて、日本社会がおかしくなり、民主主義国家では無くなってきてるとも言えます。



また選挙に関しては、「民主主義における選挙は、独裁者や単一政党の隠れみのとなる見せかけの選挙ではなく、国民の支持を競うための真の競争でなければならない」と書かれてます。

単一政党の隠れみのとなる見せかけの選挙ではなく、国民の支持を競うための真の競争。

日本の選挙はまさに、そういう見せかけの選挙になってますよね。



日本が、資本主義・民主主義国家を辞めて、社会主義国家に向かってるのかな?と思ったのは、民主主義・資本主義・社会主義・共産主義とは何なのかをネットで調べてたら、社会主義の説明のところが、日本の今に当てはまってると思ったからです。



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《資本主義とは》

生産手段を資本として私有する資本家が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造。

生産活動は利潤追求を原動力とする市場メカニズムによって運営される。キャピタリズム。


資本主義とは、個人や企業が利益を追求する自由競争のもとで、社会全体の利益も増大する体制。

資本主義とは、働いたらその分だけ報酬が得られて、個人や企業が財産を所有することができる体制をいいます。

人気があるものはよく売れ、さらに市場の競争によって価格が安くなることもあります。

業績のよい企業に就職して頑張って働けば、多くの給料をもらえるかもしれません。

しかし業績が悪くなれば、失業したり生活が苦しくなったりするリスクもあります。



《社会主義とは》

生産手段の社会的共有・管理によって平等な社会を実現しようとする思想・運動。

資本は国のもので、国がそれらを管理して平等にする体制。

個人が資本を所有することは認められません。

マルクス主義で、資本主義から共産主義へと続く第一段階としての社会体制。

各人は能力に応じて働き、働きに応じて分配を受けるとされる。


資本主義では、企業や個人が自由に経済活動を行い、それぞれの利益を追求します。

すると資本を持つ人とそうでない人との間に貧富の差が生まれ、資本主義経済の問題点が明らかとなってきたのです。

社会主義では、資本主義の考えを否定し、それに相反する体制として生まれたのです。


しかし社会主義では、労働者がいくら頑張って働いても給料は上がりませんし、効率的に仕事をしようという努力も必要ありません。

そのため人々の働く意欲が失せ生産性が低下し、経済が停滞するようになったのです。



《共産主義とは》

財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって貧富の差のない社会を実現しようとする思想・運動。

資本や財産をみんなで共有する平等な社会体制のこと。

土地や財産などはすべて国のものとなり、みんなで共有します。

生産されたものもみんなのものとなり、均等に分配するという考えです。


マルクス主義で、プロレタリア革命によって実現される人類史の発展の最終段階としての社会体制。

そこでは階級は消滅し、生産力が高度に発達して、各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けるとされる。

マルクス主義思想では、資本主義は資本を持っている人が富を独占して、人々の間に貧富の差が生まれると考えました。

資本家ばかりがお金を増やし、それ以外の労働者は一向に豊かにならず、資本主義社会の限界を見通したのです。

また、新しいものの開発は、過去の知識や多くの人の知恵が積み重なって生まれたもので、資本家だけが独占できるものではないと考えるのが共産主義とされています。



《資本主義・社会主義・共産主義の違い》


社会主義では資本は国のものであり、個人が持つことはできません。

しかし資本主義では個人が資本を持つことができるのです。


社会主義では平等な社会になる一方で、社会主義国家が崩壊したように、なまける人が増えて経済がなかなか発展しにくいという欠点があります。

それに対し、資本主義は経済が発展しやすいメリットはありますが、お金持ちはさらに富を増やし、そうでない貧しい人も生まれ格差が広がるというデメリットがあります。


社会主義では、企業が得た利益を国が管理し、国民の給料も国が管理して分配します。

共産主義では、そもそもすべての利益をみんなで共有するという考えがあり、国が管理する制度自体もいらないこととなります。


旧ソ連が崩壊したことで、共産主義と社会主義の違いは曖昧となり、現代ではほぼ同じような意味として捉えられている部分もあります。


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資本主義は、資本を持つ人とそうでない人との間に貧富の差が生まれるので、資本主義はダメだという考えを持った人達が、社会主義にしようと思って、社会主義を行う国家があった。


ところが、社会主義にした場合、労働者がいくら頑張って働いても給料は上がらないし、効率的に仕事をしようという努力もしなくなるので、人々の働く意欲が失せ生産性が低下し、経済が停滞するようになって、その結果として、社会主義国家だった旧ソ連が崩壊をした。



日本で今起きてる事って、まさにこれですよね。

資本主義だと貧富の差が生まれて、格差が広がってるから、社会主義のようにみんなを平等にした方がいいという思考の人達が、社会主義に近い日本社会にした。

その結果、頑張って働いても給料は上がらない、働く人々の意欲が失せて生産性が低下する社会になってしまった。



もし日本が、資本主義を確立したまま、民主主義の定義どおりの政治運営を行ってたら、国民も企業もみんな自由に経済活動を行えてたわけだから、国民も企業も成長しながら向上していけたわけですよね。

自民党単独政権の時の昭和の時代が、まさにそうだったんだと思います。


ところが、公明党は共産主義・社会主義的思考であり、弱者も含めてみんな平等にという考え方なので、公明党が与党に絡んでから、日本は資本主義を辞めて、社会主義寄りになったのかなとも思える。

それが、日本経済を停滞させた最大の要因だとも思います。


自民党と公明党が連立を組んだ時に、能力がある人は自由に経済活動できてる状況を維持しながら、公明党がそうじゃない人達にフォローを入れる程度のバランスだったら、今みたいな格差は生まれなかったと思います。


共産主義・社会主義的思考の公明党が政権の中で力を持ちすぎてしまって、自民党も公明党の選挙協力がないと当選できない状態になってしまって、投票率が低くて組織票だけで当選できてしまう状況になったから、余計に公明党の存在意義が強くなってしまって、その結果として、資本主義思考が弱まり、社会主義的思考が強くなった日本社会になってしまったのかなと思いました。




SNSが普及して、メディアがSNSで一般人が主張する意見を利用するようになって、民主主義的じゃなくなった。

なおかつ公明党が政権の中で力が強くなりすぎた事で、日本は資本主義ではなく社会主義に近い国に向かうようになった。



それで本当に良いんでしょうか?

資本主義・民主主義国家を取り戻すには、少なくとも公明党を与党から外さないといけません。


ただ難しいのは、野党も社会主義的思考が強い政党が多いので、本来の資本主義・民主主義国家を取り戻したい人間にとっては、投票できる政党がないのです😰


でも、自民党には投票したくないんだよなぁ。

今の自民党は、国が管理するという社会主義的思考に近いからなぁ。

今やってる事がそうだからね。



僕は学会員なので、公明党が日本を良くしてる事を信じてた側ですが、やっぱり公明党が日本社会を劣化させた最大の要因である事は間違いないかなと思います。



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