僕は、ちんちんが小さいので、トイレはおしっこする時も個室に入る。
他の男の人に、見られたくないから。
でも、男女兼用トイレだったら、立ち小便器でおしっこするかもしれない。
理由は、女の人に、おしっこしてる時に、小さいちんちんを覗かれて、ちんちん可愛いねって言われたいから。
トイレでおしっこしてる時に、見ず知らずの若い女性に、後ろからちんちん覗かれて、『ちんちん小さくて、可愛いね』って言われたいです!
若い女性の皆さん、よろしくお願いします🙇
来週の月曜日は有休なので、明日から3連休です。
ただ、明日は歯医者で抜歯があって、月曜日は午前中に歯医者で抜歯の消毒がある。
中途半端な3連休です。
今日までそして明日から
旅の宿
今に始まったことじゃないけど、仕事って、やりたい事をやるというより、やらなきゃいけない事をやってる感じだなぁって、最近特に思います。
自分の場合は、人から指示されて動くのが好きではないので、自分で能動的に動くタイプではあるんですが、やった方がいいだろうな、必要だろうな、やっておいた方がいいだろうなって事を、やってる感じなんですよね。
それって、自分がやりたくてやってるわけじゃなく、自分が好きでやってるわけでもなく、やってなかった場合に、きっとこういうことを言われる、やらなかったら恐らくこういう問題が起きるっていう、過去の経験に基づいて、先回りして動く感じなんです。
指摘された時のストレスだったり、問題が起きた場合の面倒臭さだったり、そういう事を考えると、先回りして動いておいた方が楽だなって思って、自分から能動的に動く癖が身に付いていった感じなんですよね。
自分の経験上、自分のやりたい事をやっても、あまり仕事としては評価されないんですよね。
自分のやりたい事が、周りにとって必要とされなくて、無駄なことだと思われたら、評価されないので。
やった方がいいだろうな、必要だろうな、やっておいた方がいいだろうなって事をやってる方が、評価されやすい。
自分の仕事って、仕事ができてるって、自分で評価するものではないんです。
自分の仕事に携わる周りの人達によって、自分の仕事って評価されるんです。
だから、ただ単に自分のやりたい事、自分の好きな事をやればいいってわけじゃない。
政治家の仕事だって、そうじゃないですか。
政治家の仕事って、政治家自身が自分で評価するものではなく、国民が評価するわけです。
その評価を選挙で有権者が意思表示する。
ただ、政治の場合は、そもそも有権者がそういう評価で投票する人が少ない。
だいたい固定票だけで当選できてしまう。
だから政治家は、国民の評価とか気にせずに、自分のやりたい事をやってればいい。
それでも、固定票で当選できてしまうから。
日本の政治家がダメになるのは、有権者の投票行動の仕方にも問題があるからなんですよね。
固定票で当選できてしまうことが、政治家を甘やかしてると思う。
大した仕事しなくても、投票してくれるわけだから。
自分は管理職の仕事って基本的に嫌いで、本心としては、自分の事だけ考えて、自分に与えられた仕事だけをする方がいいんですよね。
全体の事を考えたり、他人のことを考えたりするのは、とても労力を使うし、精神的にも体力的にも、結構疲れるし、頭でたくさん考えすぎて疲れます。
それなのに、なぜ自分が管理職をやってしまうのか。
これは日本社会全体に言えることですが、先回りして先手を打つ人が、あまりにも少ないからなんです。
仕事上で起きる様々な問題って、ほとんどの事が、先回りして先手を打っておけば、防げるものばかりなんです。
ニュースなどで取り上げられる社会的な問題や事故やミスも、ほとんどそうなんです。
しかも、だいたい気付けたポイントがあるんです。
その気付きがあった時に動いてれば、未然に防げたのにって事が、結構多いわけです。
人が気付きを与えてくれてたり、情報が気付きを与えてくれてたり。
そこで、先手を打って先回りしておけば、人々を守る事ができた。
気付きを与えてくれてるのに、鈍感だったり、スルーしてたり。
気付きを与えてくれてる情報があるのに、何の対策もしてなかったり、問題意識が低かったり。
そういう動きができる人があまりにも日本社会には少なくて、自分が管理職じゃない時に、そういう動きがない事にイライラして、自分だったらこう動くのにって思いながら我慢してたら、だんだんウズウズしてきて、ウズウズしてたタイミングで、管理職やらないか?って声をかけられて、やりたくないけど、やるしかないかって思って、管理職やるようになった感じなんですよね。
今でも管理職はやりたくないし、出世もしたくはない。
メディアが大きく取り上げたり、世間が評価するのって、自分のやりたい事、自分の好きな事を仕事にしてる人の事を大きく評価して、大きく持ち上げて、そういう人が発信してる言葉を過剰に持ち上げて、いかにもその人達が正しい事を言ってるみたいな取り上げ方するじゃないですか。
それで、若い人達が、そういう人達に憧れて、一般社会でもそれが通用すると勘違いして、一般社会で同じ事やろうとして、一般社会の中では理解されずに社会に不満を抱いてしまう。
一般社会はそうじゃないんですよね。
↑でも書いたように、自分のやりたい事をやっても、あまり仕事としては評価されない。
自分のやりたい事が、周りにとって必要とされなくて、無駄なことだと思われたら、評価されない。
やった方がいいだろうな、必要だろうな、やっておいた方がいいだろうなって事をやってる方が、評価されやすい。
僕が歌手の夢を抱いた時に、社会を良くしたいという想いもありました。
ところが、ステージで叫んだところで、社会を変えられるわけじゃない。
大衆の前で街頭演説したところで、社会を変えられるわけじゃない。
SNSで、正義を主張したところで、社会を変えられるわけじゃない。
言葉を発するだけで、何かを変えることはできないんです。
どうすれば社会を良くする事ができるのか。
それは、自分の働く職場で、自分が仕事を通して実践をして、自分の働く姿で、自分が仕事をした結果によって、周りに実感してもらうこと。
確かにこういう仕事のやり方が良いなって実感されて、そこで初めて自分のやってる事が浸透をして、自分の事が理解をされて、自分の事が認められて、自分のいる社会を良くしていく事ができるわけです。
社会を良くしたい、社会を変えたいと思っても、社会全体を変える事はできない。
結局、自分の生きてる社会の範囲でしか変えられないわけです。
自分の生きてる社会の範囲でしか変えられないけど、それをやる人が日本全国で1人でも多く増えれば、それがやがて社会全体に広がっていき、最終的に社会全体が変わっていく。
だけど、そうならないから社会を変えるのは難しいんです。
結局、ちんちんが小さすぎる僕には、社会全体を変える事はできないんです。
なんだかんだ言いながら、世の中の女性はちんちんが大きい男性にしか説得力を感じないんです。
どんなに僕が大きな事を言っても、『ちんちん小さいくせに、言う事だけはデカい!』くらいにしか思われない。
全部だきしめて
襟裳岬