本当は死んでなくて、新たにマスクマンとして出てきたりして三沢。
ちょっと死んだことにして、新しい国でプロレスしようぜって話でさ。そうだったら楽しいなって思ってみました。
日本のプロレス界はもう全然ダメで、愛想尽かしたのかもしれない。で、日本の技術だとか仕組みだとかすべて持って外国へ行く。メキシコとか北アメリカとか、そんなプロレスの地で。そこで新たにマスクマンとしてプロレスするんだっていう三沢。ありえる話だと思います。棺桶を箱舟に見立てて。三沢はノアの箱舟だって話です。
手前味噌だけど、なかなかウマイ話だと思いました。
前に言ったかもしれないけれど、ワタシは「100人の村」の話が嫌いです。
嫌いってほどでもないけれど。だからどうしたって思って。あれに感心する人らは初めてそれを聞いてへぇ~ってなるんだろうけど、それだけ世界っていうか地球規模のことを知らなかったり、考えてみたこともなかっただけでさ。知ったからどうこうするわけでないでしょう?
例えば何人かが白人で何人かが黒人で、あと黄色だとか。何人かは裕福で、何人かはご飯すら食べられなくて餓死すると。だからどうしたって話で、それ以上は何もないじゃないですか。何が目的か分からないんですよあの話。
地球を村に例えて数を簡単にしたのは、宇宙から客観的に見るってことでしょうか。それとも自分はどこに属するか改めて認識するっていうことでしょうか。
そもそもそれなりに裕福な人らはこんな村の例え話をされなくても餓死する人らがいるのは知ってるし、本になったとしてテレビで放送されたとして見ないでしょう。見たところで寄付しないでしょう。逆に餓死するような人らはこんなこと知らないままに死ぬだろうし、知ったところで明日の飯の心配の方が優先でしょう。そう考えるとそれなりに普通の人しか読まないわけだから、普通の人が普通の人に向けて書いたもので、本にしたってところではウマく商売したなってもんでしょうか。
本の最後には「もし地球が100人の村だったら、この本は1人しかちゃんと読んでなくて、10人は人づてに聞いて、残りは知りもしません。」て書いて欲しかったですね。いや、1人って60億の100分の1だから6000万人にもなるか、そんなに読まれてないよな。ないない。っていうか100人の村ってそもそも作者不明で、ネットを介したチェーンメールか何かが始まりだったっけ。だとしたら何が目的かと、お前なんなんだと。ちょいとグーグル検索してそんなサイト見てみたらちょっと感動してしまったワタシ。なにこの良い話。まぁ真実なんていつも闇の中で、コナンが言ってるのはウソですけどね。真実はいつもひとつじゃないです。いつも2つ、3つ、二転三転してやっと行き着いた先はワタシだけの正義です。
( ;∀;) イイハナシダナー
言うほど良い話でもないか。うん。普通か。