今日は午前中に用事を済ませ、人吉・球磨地方の九州八十八ヶ所百八霊場の札所に参拝しました。

 

最初に参拝した、人吉市下青井町の99番札所の青井山高野寺さんは、お寺の方が不在だったので、最後にもう一度参拝します。

 

  次に参拝したのは、人吉市願成寺町の九州八十八ヶ所百八霊場第50番札所の願成寺さんです。

転覆元年(1233)創建の真言宗大覚寺派のお寺で、御本尊は阿弥陀如来座像、相良藩の菩提寺、そして相良三十三観音巡りの第1番札所でもあります。

今日は、朝から「水子地蔵の法要」だったそうです。

住所 熊本県人吉市願成寺町956

 

  当寺はおよそ770年前、四条天皇天福元年(1233)人吉城主初代相良三郎藤原長頼公の創建で、開山弘秀上人は建久9年遠州常福寺より来られました。 金堂は鎌倉の長勝寿院の大御堂を模造し、1345畳敷と伝わっています。本尊は阿弥陀如来です。 文禄元年、当山13世勢辰上人は大いに功あって、寺録を300石増加され、慶長16年(1611)当山は後陽成天皇の勅願所となりました。塔頭六院を設け諸堂伽藍を経営していましたが、永録15年と更には西南戦争で、古の諸堂伽藍は悉く焼失しました。しかし、国指定重要文化財の阿弥陀如来・県指定重要文化財の不動明王・両界曼荼羅・七重の石塔・相良家の墓地・古文書数千点他安泰を待所蔵。   (以上は、霊場会HPより)               

 

 

 

  次に参拝したのは、球磨郡山江村の第52番札所の金剛山高寺院さんです。高野山真言宗のお寺で、御本尊は国指定の重要文化財の毘沙門天様です。

住所 熊本県球磨郡山江村大字山田甲1640

 

  球磨地方は、かつて平家一門の荘園がありました。平家滅亡後、平重盛の家人だった平貞能が、追善菩提のため重盛の念持仏の金造毘沙門天を胎内に納めた尊像を刻み、堂宇を建立したのが高寺院の始まりとされています。また、一説には、永享5年(1433)に快親という僧が開山して、本尊に毘沙門天を安置したとも言われています。江戸時代には、かなりの諸堂が軒を連ねていました。庫裏を兼ねた本堂は、寄棟造の葦葺きで、山村の農家のような感じの建物。外観からはお寺とは思えないが、日本人のふるさとといった雰囲気があります。
  本堂の裏手にある入母屋造の収蔵庫に、本尊などの諸仏が安置されています。内部に並ぶ三体の毘沙門天像は、まさに壮観であり威風堂々と立っています。このうち、二体が国指定の重要文化財であります。(以上は、霊場会HPより)                  

 

 

 

 

 

  次に参拝したのは、人吉市城本町の第53番札所の千福山觀連寺さんです。相良三十三観音巡りの第九番札所の村山観音は、お寺境内の観音堂です。真言宗大覚寺派のお寺で、御本尊は十一面千手観音立像です。

住所 熊本県人吉市城本町村山1363

 

  観蓮寺は元は観琳寺といい、治承年間(1177~1181)平重盛菩提のため、矢瀬主馬佑が建立したと伝えられています。その当時は禅宗の一派だったそうですが、大永6年(1526年)当地の内乱「瑞堅の乱」に依り堂宇も焼失してしまいました。慶長年間(1596~1615)再興しその時から千福寺 観蓮寺と改称し真言宗に改められました。途中数回の無住の時を経て現在に至っています。
 本尊は約2mの千手十一面観音で平安時代末期の作と伝えられています。また当山は相良三十三観音第九番の札所(村山観音)ともなっています。札所お堂の右手下に本堂があり、こちらの本尊も千手観音立像であるが金銅仏である。(以上は、霊場会HPより)

 

 

 

 

 

次に球磨郡多良木町の、第51番札所の遍照山吉祥院勘代寺さんに参拝しました。

高野山真言宗のお寺で、創建は南北朝時代、御本尊は十一面観音菩薩立像です。

住所 熊本県球磨郡多良木町久米1396

 

  日本三代急流 球磨川の上流 奥球磨 美しい田園風景の中にございます多良木町に勘代寺はあります。寺暦は鎌倉時代中期からの歴史を有し、諸代相良家の祈願所とし栄え現在は地域の方々の心のよりどころとして、日々お香のたえることのないお寺です。ご本尊様は、秘仏十一面観世音菩薩さま 内陣には、等身大以上のお大師様 薬師如来 孔雀明王 不動明王 をおまつりしておりまた 境内には、修行大師 弥勒菩薩を中心に石像十二支守護本尊八体佛 疳封じ地蔵 水子地蔵 子安観音裏門からは 厄払いの男坂四十二段・女坂三十三段をのぼると、厄除け不動尊をおまつりしており、毎月のお大師様報恩日(21日)には、たくさんのお参りのかたがたに大数珠まわしをしていただき、護摩祈祷を修しております。 (以上は、霊場会HPより)

ご住職・坊守様とお話が出来、お茶とお菓子のお接待を戴きました。               

 

 

 

 

次は、球磨郡水上村の第98番札所の千光山生善院さんに参拝しました。真言宗智山派のお寺で、御本尊は阿弥陀如来坐像です。相良三十三観音巡りの第24の1番札所の生善院観音でもあります。

住所 熊本県球磨郡水上村大字岩野3542

 

  生善院は寛永2年(1625年)に創建され、熊本県南部に位置する真言宗智山派の寺院です。
 謀反の疑いで非業の死をとげた普門寺第5代住職盛譽法印と後を追って死んだその母玖月善女を 祀るために人吉藩主相良長毎公により建立されました。本堂には盛譽法印の影像である阿弥陀如来が、 観音堂には母玖月善女の影像である千手観音がそれぞれ納められています。
 言い伝えでは、盛譽法印の母玖月善女は、その息子の死を怨み相良氏を呪いその愛猫「玉垂」とともに、 茂間ヶ崎淵(湯山ごしんさん)に身を投じました。その後、この猫が相良氏のもとに化けて出たため、 この猫の供養も兼ねて生善院が建てられたと伝えられており、この化け猫の伝説により生善院は 通称「猫寺」と呼ばれています。   (以上は、霊場会HPより)

 

 

 

 

帰りに、人吉市下青井町の第99番札所の青井山高野寺さんに、再度立ち寄りましたがご不在でした。次の機会に、もう一度参拝します。本堂の扉が施錠されていなかったので、上がってお参りは出来たのですが、残念です。

 

これで、九州八十八ヶ所百八霊場の札所は、本日の5カ寺を含めると、32か寺の札所に参拝できました。

 

 

九州四十九院薬師霊場の参拝は、納経帳に戴いた御朱印は10カ寺の札所です。

11月21日に参拝した3カ寺

納経帳に御朱印を戴いた10カ寺

 

南無大師遍照金剛 & 南無観世音菩薩 & 合掌