4月10日(月曜)晴、気温11度

朝5時過ぎに目が覚めたので、浴室を覗いて見たら「朝6時まで掃除中」だったので、早めにチェックアウト(昨夜の晩御飯と、深夜料金を合わせて3240円)して、隣のうどん屋さんの駐車場へ移動。

6時からうどん510円を食べて、四国別格二十霊場の別格17番札所の神野寺(かんのじ)さんへ移動、地元のお年寄りがお参りされていた。

別格17番札所の神野寺さんは、満濃池のすく隣にあります。

香川県仲多度郡まんのう町神野45-12

TEL : 0877-75-0875
宿泊施設 なし

【御詠歌】ちまちだに いまもそそぎて のりのしの 恵みあふるる 満濃の大池
【御真言】オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

本 尊 薬師如来
開 山 弘法大師
宗 派 真言宗善通寺派

略縁起
弘仁十二年弘法大師嵯峨天皇の勅命により満濃池修築の砌、その偉功を称えて恩賜りを給わり、末世憐民の勝計を廻らして当寺を建て、両部の秘法を伝え満濃池鎮護の霊刹となし給い、大治五年座堂再建二大門営築。明徳四年堂宇再建し益々隆盛していたが、天正九年九月戦火の時、伽藍一切を焼失し廃寺となる。昭和九年高祖大師一千百年御遠忌をむかえ、満濃大師会を結成し、大師会の発願により古の面影を偲ぶ神野寺として堂宇の一部を再建する。
満濃池堤防では、日曜・祭日かりん市が開かれ終始賑わっている。

 

 

その後、別格18番札所の海岸寺さんへ移動(弘法大師様が誕生なさった場所)

本堂(奥の院)の山門

 

 

大師堂の山門

 

香川県仲多度郡多度津町大字西白方997-1
TEL : 0877-33-3333
宿泊施設 約300人 ユースも兼ねる

本 尊 正観音 弘法大師誕生佛
開 山 弘法大師
宗 派 真言宗醍醐派

略縁起
歩いて巡っていた時代でも、たいていのお遍路さんは、ぬかしてならない番外札所として海岸寺へは参ってくれていた。今は、バスや先達まかせで海岸寺を知らず寄らずが多くなった。まず海岸寺を知り、海岸寺へ寄って戴く事が一番。
●その人はしあわせの始まり。
今は施設のととのった本坊本堂へ参る方が多い。だが、大師御産屋あと、奥の院大師堂こそ本命。本堂だけ参るのは高野山で本山金剛峰寺だけ参って奥の院へ参らぬのと同じ。

奥の院へ参ればお開帳。誕生大師・御両親・四天王・そして御産盥。大師の刻まれた光明真言石でお加持を受ければ、疲れや病気もふっとぶ思い。

 

今日は、たまたまご住職がいらっしゃって、一緒に読経を合唱し、誕生大師・御両親・四天王・そして御産盥。大師の刻まれた光明真言石の説明と、光明真言石で背中と股関節の「加持」をしていただきました。

大師堂へ移動して参拝の準備をしていたら、またご住職がいらして大師堂や護摩堂の説明、護摩堂では三体の明王の光明真言を唱えて戴きました。

 

その後、別格19番札所の香西寺へ移動

山門

本堂

大師堂

 

香川県高松市香西西町211
TEL : 087-881-2337
宿泊施設 なし

【御詠歌】南無大悲 延命地蔵 大菩薩 みちびきたまへ この世のちの世
【御真言】オン カカカ ビサンマエイ ソワカ

本 尊 延命地蔵菩薩
開 山 行基菩薩
宗 派 真言宗大覚寺派

略縁起
奈良時代に僧行基により開創され、初め勝賀山のふもとにあり勝賀寺といった。平安初期に僧空海(弘法大師)が再建し現地に移した。嵯峨天皇の勅願寺に選ばれて、寺禄貫を賜り、朱雀天皇のとき、談議所(僧徒学問所)に選定された。鎌倉時代、この地の豪族香西左近将監資村(香西氏の祖)が、幕命をうけ堂塔を再建し香西寺と改称す。その後細川頼之が当寺を本津(香西東町)に移し、十一代香西元資は寺号を地福寺と改称す。天正年間戦火にあい、生駒親正が国主となり、再建ののち高福寺と名を変えた。満治元年、またも失火のため旧寺域(現在の地)へかえることになった。寛文九年、藩主松平頼重公が新伽藍を建立落慶し、別格本山・香西寺となる。その後当時の七堂伽藍はほとんど失火で焼失し、現在の建造物はその一部である。寺宝の毘沙門天立像(木造・檜一本造り、平安時代初期101センチ)は昭和十六年十一月、重要文化財に指定され、藤原時代弘仁佛としては、全国的にも逸品である。

 

納経所では貴重な教えを戴きました。 感謝です!

 

これにて、四国別格二十霊場の二巡目のお遍路 「結願」です。

 

南無大師遍照金剛 & 南無観世音菩薩 & 合掌