こちらの碑は高知県の香南市のある山中にあります。
訪れたのはつい先日の2月4日です。

日本陸軍歩兵第452連隊は

昭和20年6月10日、宮中において軍旗を拝受する。

太平洋戦争終戦間際に本土防衛下、四国防衛第55軍 第155師団 通称護土22756部隊と言い、この地に展開しました。

連隊長は山本孝男大佐
昭和20年8月15日終戦時点に於ける部隊兵力数2千696人となっています。


桜花

地主の方に許可を頂き入山しましたが、最初とんでもなく間違った向かいの山に上がってしまい、更に道が無くなると車を置いて山頂を越えて下ってドンドン歩きましたが、結局見つからず…。車に帰りひたすらバックして、少し広い所で何回も切り返し、なんとか方向転換し、無事に下山(山に行けばいつもこれは当たり前、単車でも無茶はしますが、四輪でもやっている事が同じ感じとなります)。

半ば諦めて帰ろうとしましたが、その麓の降りて反対の山裾にあった民家(Tさん宅)の方に声をかけさせてもらったところ、この碑を知っているとの事!驚きました!早速話しはトントン拍子で進み結果、快く現場まで案内までをして下さいました。その地は恐ろしく薔薇で藪化した場所でした(何年も人が来ていないのが容易に解かります。自力ではまず辿りつけなかったことと思います)。
また、帰りにはこれも何かの縁と、春になれば竹の子も採りにおいでと優しいお声もかけて下さりました。初対面なのに、あまりの温かさに思わず眼がウルッとなってしまいました。Tさん本当に有難うございました。

昭和二十年八月十八日、この地で松尾師団参謀長立会いの上で、軍旗奉安予定壕の畑地の一画において歩兵452連隊の軍旗が奉焼されました。中隊長以上の幹部、各中隊から将校以下、各階級の代表者が参列し、ラッパ手の奏でる音が谷を曲がり峰を越えて消え去ると共に、それは灰になりました。


桜花
この護土部隊歩兵第452連隊隊長山本孝男大佐はもと中国湖南省にあり、四国防衛の為、丸亀で編成中の連隊に到着したのは昭和20年5月であり、同月香南市に展開する。
この連隊は香南市山南、山北、西川地区に配置され、連隊本部は山北村池ノ本に後、口西川に配置となる。

主任務は連合国軍が、物部川左岸(吉川村側)に上陸して来た場合に、野市町方面に突撃部隊として参戦する予定であったとされています。


その日が訪れなかったことに関しては本当に幸いでした。

尚、現地取材は続行中です…。