やさしさ? | ツカガシラで御座います。

やさしさ?

本日第二回目の人にやさしい街づくり講座を受講。

そんな中、先回行った車いす体験に対する各自の感想を持ち寄るのですが、私の体験で感じた事の一つに『周囲からの視線を感じなかった』と言うのがありました。

行動を共にしたメンバーとの討論でも同じく感じなかった。
もっと見られるのでは。と思っていた。という意見でした。

でも、よくよく聞いてみると。
「奇異な目で見られなかった。特別視されなかった。だから、周りの人々はやさしかった」と、言うのです。

私は「関わりを持ちたくないから。」(最悪かな?)視線をそらす。「車いすが街中を走る事が珍しくない社会に成って来たのだろうか?」(チョイとマシ)そんな感じで街ゆく人々を見ていました。


『やさしさを感じた』と『冷たさを感じた』正反対の感想。

私がひねくれてるのだろうか?

我が身を振り返って考えてみて...。
先日の体験中に盲導犬を連れた方が駅の自動改札に上手く向かえず手間取っている
姿を目撃したが、何も出来なかった自分を思い出した。


『やさしさを感じた』と言われた方々は日常的に障碍を持った方たちと接している方で、日ごろ「特別視はされたくない。ただ、何かの時は手を貸してほしい。」と聞いている。と言われてました。

「何か手伝う事は無いだろうか?」
「困ってはいないのかなァ?」
そんな思いで見守るというか、視線を送る?ってこともあると思うんだけど。

そう思う事自体が特別視なのだろうか?
見守られる視線=弱者に注がれる視線とは言えないと思うのだが?


世の中には、『平等』とか『公平』という言葉はあるものの実際の世の中は全てにおいて『上下』があり『優劣』が『強弱』が存在すると思うんです。
(人の命にも優劣があるのか?と言われそうですが、その命の維持には悲しいかな優劣や強弱がが存在する事は事実だと思う)

世の中『優』ばかり、『劣』ばかりに二分された社会では成り立たないと思う。
優劣・上下が入り混じり世の中は回ってると思う。

そうした世の中のやさしさとは???

互助があっての社会であり、やさしさじゃないだろうか???

今回の行動場所は比較的都心で公共施設の中の移動がほとんど。
人と人との関係が希薄なのでは?と思ったりもした。

やさしさって何だろう????