1年くらい前からやらなくてよくなったのでやれやれなのだが、投票前の雑用紙のチラシの配布をしていたのだが、空き家なのかどうか確認できないし、ポストが付いていない家も多くて、どこに置けば良いのか分からず困惑するし、へたに置けば、風で飛ばされてゴミになってしまうし、ほんとに困ったものだ。いっそのこと廃止してしもらいたいものだ。
反対の人たちには、では、あなたが配ってください。と言いたいのだ。それでやる人がいなければ、廃止すればよい。
それはちょっと違うでしょ
しばしば、動画の収益はグーグルに握られているというような指摘を目にするが、高評価と低評価の比率その他のデータは、他の視聴者が決めていることであるし、その背後の世論による影響によるものではないか。結局は、大多数の消費者が権力者なのではないか。
「ブログを書くときに気を付けてほしいこと」
読者が不快に感じる投稿は十分に注意をしましょう
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ということですが、当然のことながら、可能な限り注意すべきだというのは当然なのですが、これを完全に実現しようとするなら、言論自体を完全に封殺してしまうしかないのではないかと思うのだ。単的な例が政治家であり、誰がどんな発言をし、どんな政策を実行しても、どこからか必ず批判が飛んでくるのだ。まさに、「ああやれば、こう。こうやれば、ああいう」といった具合にだ。
キャンピングカーが使えない人たちへの提案です。
キャンピングカーを買うお金も時間もないひとへの提案があります。自宅の廊下や台所などに、シートかダンボールかベニヤ板を敷いて布団を置き、そこで寝るのだ。くだらないと思うかもしれないが、意外と新鮮なのだ。何よりもお金がかからないし、防犯上の問題もないし、トイレや飲料水や食事や食料の問題もない。車中泊ならぬ自宅泊だ。
唯一の被爆国として・
この余計な接頭語を使わせているのも被爆者団体なのか、確認はしていないが、とにかく特権意識が見え見えなのだ。まるで水戸黄門の印籠みたいな感じで、なにしろ、被爆者だの被爆体験などを持ち出されれば、周囲の人たちは何も言えなくなってしまうからだ。
それにしても、一連の脱原発騒動は、皮肉にも独裁国家に一定のお墨付きを与えてしまったようだ。なにしろ発電所というのは産業の基盤中の基盤であるし、国家予算を投じて長年研究を続けてきたのだ。そんなに再生可能エネルギーが素晴らしいのなら、とうに普及していた筈ではないか。ふつうこういう風に考えるものではないかと思うのだが、違うのか?
「晴れの国」だと・
たぶん農協が命名したのだと思うが、日本海側の、いわゆる裏日本に住んでいる人たちにとっては、嫌味かと思われるのではないか。
還暦女性がつぶやいた「ずっと退屈な人生だった」「退屈な時間はまだ続くのか」という本音
記事を読んだが、「高校、それぞれの同窓会があったんですが、みんな案外、自分の人生に満足してるんだなと羨ましく思ったりしました」→同窓会など行ったことがない。
「私の周りは四年制大学へ行く人も多かったんです。でも私は当時、短大のほうが就職率がいいと父に言われて短大に進んだ。本当は四年制に行きたかったけど、弟もいたので少し遠慮しちゃったんです」
大学にも短大にも行っていない
「海外旅行をよくしましたね。とはいえツアーだったから、冒険したわけではないんですけどね。あのときがひとつのターニングポイントだったかもしれない。何人かの女性の同僚がお金をためて留学しました。」→そもそも海外に行ったことがない。
「バブル期真っ盛りに27歳で社内結婚し、彼女は退職した。その後は「平凡な専業主婦」を経て、子どもふたりをもうけ、子どもたちが学校に上がったところでパートで働くようになった。」
→一生結婚できそうにない。
あまりの落差に唖然とさせられたが、こんな贅沢な悩みを持つ人ですら、女性であれば支援の対象になるし、すべしということか?
芸備線の存廃問題について
私は沿線住民ではないし、JRの職員でも株主でもなく、廃線の是非については口出ししない。しかしすくなくとも、これだけの人数を運ぶのにこれだけの経費が必要なのだということが、可視化されたというだけでも、意義はあるのではないかと感じるのだ。
毎日は反面教師なので、推進するのがよろしい。
不謹慎かもしれませんが、例の芸備線について、猫が駅長の猫が死んだので、新たな猫を招待して駅長に就任してもらうとかいうのをたまたま見たが、そのために他県から訪問する人がいるというのには驚いた。スーツさんが動画で解説していたことに依れば、すべての列車で乗車率が100%でも年に1億以上の赤字になってしまうということで、とうに終わっているのだ。ということで、こんなことをしても焼け石に水にもなりませんわ。
このほか、以前JRからバス転換についての協議の話が出たときに、利用促進キャンペーンを始めたとかいうニュースが出ていたが、まるで夏休みの最終日にあわてて宿題を済まそうとする子供みたいで、よくもこんな見え透いたことができると呆れたものだ。