スピノザの疑義ー4 | 怠け者のなれのはて(妄想と幻想の隙間で)

怠け者のなれのはて(妄想と幻想の隙間で)

コメント、フォロー、金品以外の付け届けは全て受付拒否

聖書は哲学のように事柄の真理を教えているのではない。ただ隣人愛を命じる神への絶対的な服従を説いているだけだ。それゆえ真理について何も知らなくても、正義と愛徳を持っている者ならそれだけで敬虔な信仰を持っていることになる。だから 普遍的信仰の教義 は証明可能な真理である必要はない。
素朴な者は素朴なりに、インテリはインテリなりに、この同じ神を解釈してかまわない。どう解釈しようと、敬虔と見なされうる信仰はいわば文法的に一致するからである。真理のみを問題にする理性と服従のみを問題にする信仰の間に何の類似もなく、したがって折り合う必要すらない。
これがスピノザの解決だつた。


              上野修     神学政治論を読むより