スピノザの疑義ー2 | 怠け者のなれのはて(妄想と幻想の隙間で)

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聖書の諸巻はただ一人の人間によって書かれたものでもなければある一時代の民衆のために書かれたものでもなく、むしろ異なる精神を持ち異なる時代に生きた多数の人々によって書かれたものであることは間違いない。
二千年あるいはそれ以上にわたって様々な伝承断片の編纂が繰り返されて今ある形になったわけで、吟味すれば欠落のある、損なわれた、改竄された、矛盾だらけのものであることは明らかである。
おまけに書かれているヘブライ語に関する知識も多くは失われてしまった。ただでさえ解読が困難なのに、聖書が編纂された時代のヘブライ語記法には母音字も句読点もないとくる。こんなふうに断片集積的で、矛盾だらけで、読みも不確定となれば、聖書が全体として謎めいたものに見えるのは当たり前である。これが真理を語っているものと最初から前提とするとどうなるか。当然、聖書は全体が真理の暗号と化すであろう。
ここからすべてが狂ってくるとスピノザは診断する。



              上野修         神学政治論を読むより