昨日の続き | 怠け者のなれのはて(妄想と幻想の隙間で)

怠け者のなれのはて(妄想と幻想の隙間で)

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戦争というやつは途方もない歴史的な怪物、カイビャク以来の大化けものであったに相違なく、諸方の戦地で何百万の人々が死んだが、私自身の周辺でも、四方の焼け跡で、たぶんさほど祖国も呪わず宿命的、いわば自然的にただ焼け死んだ大きな焼き鳥のような無数の死体も見たのである。吹きちぎられた手も足も見たし、それを拾い集めもした。全く無感動に、今晩の夕食の燃料のために焼け跡の枯れ木を盗みにゆくよりもはるかに事務的な無関心で、死体を見物し、とりかたづけていたのである。
そのこと自体がカイビャク以来の大事であり、私自身が歴史的な一大異常児であることを、そのときどうして気づきえたであろうか、私はただ、ぐうたらな怠け者で呑んだくれで、同胞の死体の景観すらも酒の肴にしかねない一存在でしかなかった。
その私すら、しかし、歴史的に異常にして壮烈な愛国者として復活しうるという、歴史のカラクリと幻術を、私は今、私自身ついて信じることができる。

中略

私はしかしそういう屁理屈はとにかくとして、わたしがカイビャク以来の愛国者で、二合一勺のそのまた欠配つづきに暴動ひとつ起こさなかった歴史的人格のひとりであったという発見に大いに気をよくしているのである。


                  坂口安吾  安吾の敗戦後考より

昼下がり、小澤征爾のワーグナーを聴きながら、焼いた餅を食いながら読んでた

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