ヒトとそれ以外の獣を二分に大別するとして、その中間および双方の一方的な変身は一見似ているようで実は性質が全く異なる。


 ヒト→ケモノであれば、その中間形態は〝半獣〟、その際の呼称は〝獣人〟と呼ぶことがふさわしいだろう。


 しかし、ケモノ→ヒトであれば、その中間形態は〝半人〟、その際の呼称は〝人獣〟と呼ぶことの方がふさわしい。


 それぞれ起源の異なるモノの中間形態を総称して〝半獣〟と呼ぶことにはいささか問題があるだろう。


 例えばネコの場合、ヒト→ケモノの中間形態である獣人はヒトの言葉を話し、瞳孔が縦にスリットすることは無い。一方、ケモノ→ヒトの中間形態である人獣はケモノの鳴き声しか発せず、瞳孔は縦にスリットする。


 さらには、ヒト→ケモノで完全変身した場合、ケモノ姿では動物の鳴き声しか発せないが、ケモノ→ヒトで完全変身した場合、ヒトになったからといってヒトの言葉が話せるようになるわけではない、つまりはケモノがヒト化した場合は動物の鳴き声に似た言葉しか発せない、二足歩行も非常に困難だろう。


 ヒトがケモノに完全変身した場合はイメージの中で刷り込まれているので変身した動物の行動を振舞うことができるが、ケモノがヒトに完全変身した場合はヒトの行動を振舞うことは不可能、何故ならケモノにとってヒトの姿は非常に特異な形態で、今までにない奇妙な動きを必要とするからだ。


 冷静に変身前後の慣れ親しんだ機能運動学的なことを考慮すればこのことは理解できるだろうが、しかし、古来よりケモノがヒトに化けた時はケモノがヒトの振る舞いを可能とするイメージが植え付けられている。このことから、古来の伝承はやはり何者かによって創作された話だということがわかるだろう。


 しかし、双方の変身は伝承のみならず、現実的に存在するようだ。〝ガイア・ダイジェスト〟が発生した後、全裸で四足歩行するヒトが相次いで目撃されたらしい。彼・彼女らの出生は一切不明。捕獲後、オオカミ少女のように根気よくヒトの振る舞いを教えなければならなかったが、彼・彼女らの寿命は短かったという。食べ物を与えても食べる物には様々な嗜好性があった。肉のみを喰う者、草のみを喰う者、何でも喰う者。ある者は舌で体を舐め、ある者は床を掘る仕種をし……これらからも彼・彼女らはまるで動物がヒトの姿に変身したとしか思えなかったという。