C'est la vie. -24ページ目

C'est la vie.

Every single day is different. Enjoying my life.

みなさん元気ですか?
私は元気です。

この一週間、早かったような長かったような。。。

木曜、金曜と仕事に出てきました。
皆さん心配してくれて、ほんとに感謝です。
私の隣のデスクには、社長が買ってきただろう予備のお水ペットボトルが3本置かれていました水

木曜日は東京に大停電の恐れがあると言われ、また4時間帰宅コースかぁ。。。と思ったけど、都営新宿線が動いていて普通に帰れましたヾ(@°▽°@)ノ

仕事は普通にこなせるけど、気がつくとぽけーっとしてしまう自分が。
PCの作業が多いので、インターネットのニュースもつい見ちゃうし。。
こんな状態がまだまだ続く気がしますが、会社もかなりの打撃を受けているので踏ん張らないとです。

仕事つながりの中国、香港、イタリア企業からも心配のメールや励ましのメールをもらい、すごく励まされました。世界レベルでは対立も多いけど、人間レベルではみんな気持ちは一つだね。
海外の日本へのチャリティー活動も、涙が出るほど感動しています。

あれから何日か経過して、徐々に連絡もつくようになってきました。
お姉ちゃんとも電話で話せたし、女川や石巻の状況も少ないけど見えてきて、みんなの無事を確認できて安心しました。

でも、安心したのは自己満足。
避難しているみんなの不安は消えないし、育った街も復興のメドがたたない。
きっと今のこの瞬間だって、寒くて、暗くて、お腹も満たされなくて。
お風呂だって入れず気持ちが悪いだろうし、未だに続く余震がみんなの睡眠を妨げているのです。

お金があっても、買う物がなく。
物があっても、調理する手段がなかったり。

どんなに大変だろうか。

みんな協力し合ってなんとか気を高めて頑張っているけれど、かなりの精神的疲労もあるだろうね。
私も早くお母さんやお姉ちゃんと普通に電話がつながるくらいになれればいいのに。
一番上のお姉ちゃんが県南にいて、やっぱり一人で話す人もいない状況だったから、私と話せてだいぶ安心した様子です。
私自身もそうだけど、家族にとっても、電話で声が聞けるだけで安心したり、頑張れたりするのなら私は応援していきたい。

いま、近くのスーパーには米やパンがないね。
うちも、彼氏と二人、食事に困るようなことは全くないとはいえ、この異常な状態に驚いています。
節電節電、節約~
今まで自分がどんだけエネルギーを無駄に使っていたのかと思うと、恥ずかしいね。
便利になりすぎて、自分で生きていけるサバイバル感がないもんね。。。反省。

こんなときにAvril Lavigneのライヴ先行チケットが当たってしまった。。
5月なんだけど。
正直今の段階では行く気分にもならないけれど、一つの贅沢として、楽しみにしておこうと思います。
元気をもらいたい!

なんだろう。気分はまだまだはれないけど、元気に生きていかねばと思っています!!
くーっ!
ちゃんと食べて、元気出すぞ!!











$C'est la vie!
やっと、落ち着いてブログを書ける状態になりました。
私にとっては地獄の100時間でした。

11日、地震が発生しました。
私は昼食を終えて、会社にいました。
日本橋の小伝馬町にある銀行のビル2階。
ビルは大きく揺れ、いろんな物がぐらぐらと揺れました。

最近起こったNZの地震のことが頭をよぎって、過呼吸になりそうなほどの恐怖の中、デスクの下で祈っていました。「どうかおさまって。死にたくない」

震度5強は、私にとって初めての経験でした。
今まではなにかしらの縁で災難を逃れてきたのですが。
こんなに怖いんだ!!

それからすぐに、館内放送が入って、宮城が震度7と知りました。
頭が真っ白になりました。でも、正直、自分の周りのパニックで頭がいっぱいでした。

会社を早退して帰ることに。
交通機関はパニック、タクシーもない。
でも、帰らないと!

中央区日本橋から世田谷区松原まで調べたら、徒歩2時間40分とありました。
でも、実際は4時間超え。
人が多すぎて、街がパニックになりすぎて。

やっと着いた家、寒いし、足もパンパン。
テレビをつけるとそこには信じられない映像が!
家に帰って初めて、津波がものすごいことになってることに気づく。

ケータイが充電切れてしまっていたため、家電で一生懸命お母さん、お姉ちゃん、ともちゃんに電話する。一向につながらない。
恐怖が増す。

そんな中、テレビ画面の横に流れる文字は、「女川町壊滅的」。

頭が真っ白になった。

お母さんは海の真ん前の会社で、水産加工をしている。
ともちゃんは駅前の温泉施設で働いている。いずれも海の近く。

お姉ちゃんは地震直後にメールで「だいじょうぶだよ」ってきたけど、その後音信不通・・
でも、お姉ちゃんはなんとか無事と信じて、問題は女川です。

私は、頭の中でなんども恐ろしい想像をしました。
お母さんが波にのまれる映像
車ごと流される映像
叫ぶ映像
お姉ちゃんが、温泉にいたご老人達に手を差し伸べて逃げる映像
恐怖で逃げ回る映像
水の中で苦しんでる映像。。。

怖かった
体が震えて怖かった

涙が止まらないし 嗚咽がもれた

お父さんが、私一人を残してみんなを連れて行くはずがない
お父さんがみんなを守ってくれたに違いない

祈ることしかできず、テレビやネットに釘付けになり。
女川出身の友達に電話をし、情報がクリアになればなるほど事の重大さが見えてきて、恐ろしかった。

そんな時間が3日も続いた。
心は限界に達してた。恐ろしい夢を何度も見たし、また、東京にいる自分を恨んだりもした。
なんで私はこんなところにいるのだろう。

会社から歩いて帰るとき、こんなパニックの状態をむしろ楽しんでいる人もいた。
譲り合う気持ちもなく、我先にとなっている人も多い。

隣の人もわからないような大都会に、なんで私は自ら出てきたんだろうって。

いろんな情報が交錯し、一喜一憂。
逃げる時間があったと聞いて、ちょっと安心したり、1000体の遺体があがったと聞いて落ちたり。

心も体も疲れきっていた日の朝のことでした。
ともちゃんから電話が!!!!!!!

みんな無事でした。逃げてた。家も無事でした。。。

体から力が抜けて、涙があふれてきました。
同時に、震えが止まらなかった。

よかった よかった よかった

ほんとに 信じてて よかった

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それから、情報はどんどん入ってきて、知り合いの安否も多数確認することができました。
一番上のお姉ちゃんの家の近くに住む友達が、わざわざおねえの家まで行ってくれて、電話できたよ。
お姉ちゃんも、ずっと一人で家にいて、電気も水もない中で、私と同じように不安でいたみたい。
無事に連絡がとれて、本当に本当に良かった

ともちゃんは1時まで仕事して、地震のときはゆぽっぽじゃなくて石巻にいたみたい。
津波がくる前に家に着いた。運が悪ければ、巻き込まれたかもしれなかった。

お母さんは、仕事中で車も置き去りで逃げた。
お母さんの車は流れてしまった。
車の後ろにいつも乗っていたお父さんの帽子もどこかへ流れてしまった。
でも、お母さんは助かった。家まで自力で逃げたんだ

津波は私の家のすぐしたまで来たらしい。
あんな大きな波が女川全体をのんだのに、うちが残ったのは奇跡に近い。

親戚の家も、後一歩のところで無事だったり、みんなも無事だったり。
私の周りでは奇跡がたくさん起こっています。

地震以来、本当にたくさんの方が私を支え、励ましてくれて、協力もしてくれました。
私は自分のことでいっぱいいっぱいで、誰も支えてあげられてなかったと思う。

長い間連絡を取っていなかった友人もメールをくれたり、ネット上で知り合った同じ思いの方も、励ましてくれたりしました。
また、海外の友達もたくさんのメールをくれました。

会社の方にもずいぶんわがままを聞いてもらっています。

一緒に住んでいる彼や、近くに住む親友も、一緒にいてくれるだけで安心できた。

本当にありがとうございます
感謝でいっぱいです。

これからのことを考えると、すごく大変なんだろうなって思うんだけど。
こういうときこそ踏ん張って、頑張っていかないといけないなって思います。

現地に行きたいのはやまやまだけど、私は私で今は東京で頑張るしかない!
みんなに元気を送れるように、私も明るくいきます!!!!!

がんばるぞ!東北!
がんばれ、女川!

$C'est la vie!

what's a mess

会社で一番先輩の私。
後輩たちのゴタゴタの処理も仕事のひとつ。
とはいえ、内容があまりにも子供染みていて、さすがに面倒(-_-;)

仕事に私情持ち込み過ぎ!

昨日は叫びそうになりましたが。
今日もそんな職場へ向っております。

一体いつまでこんな落ちた気分で出勤するんだろう(´Д` )

でも、嬉しいニュース!
お姉ちゃんの入籍が決まったよ( ´ ▽ ` )ノ
4月1日だって(^-^)
エイプリルフール…ほんとかな?笑

家族には変わりないけど、名前も変わるし家も出るし、寂しいね。
とくにお姉ちゃんはずっと女川町にいた人で、親戚付き合いもちゃんとしてたしね。

それに比べて私はあちこち動いて(-_-;)
今では、またフランスのワーホリに行くか真剣に悩んでるし。

親には迷惑かけっぱなし。・°°・(>_<)・°°・。

お姉ちゃんの結婚式は秋くらいになる予定ドキドキ

私は着物を着たいなラブラブ


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