およそ車で6時間。満潮の時間を避けるため、結構ハイスピードで向かいましたが、ぎりぎりセーフで沢田駅付近のファミマ前を通過。浦宿駅前も海の水が入って来てたけど、なんとか通過◎
無事、13時半過ぎに女川入りました。
家の前で、お母さんとお姉ちゃんが笑顔で出迎えてくれたよ◎
地震、津波のあと、3日間連絡が取れず、死んだと覚悟した家族です。
なんか、照れくさくて、普段通り「ただいまー」って感じでした( ´艸`)
心の底では、会えたことが嬉しくって、泣きそうだったけど。
うちも、地震のせいで、傷だらけ。。


家の中も、たくさんの亀裂が。。。
窓も割れたし、ちゃんと閉まらなくてすきま風ぴゅーぴゅーだし。。。
父の自慢の家が、泣いてました。
東京からいろいろ買い込んで来たので、親戚の家をまわってきたよ(・∀・)
うちの上のおばちゃんちは、おとなりさんちの石垣が落ちてきて玄関前が塞がれていました。
危険な状態で、役場から避難勧告が出ているのに、家に居続けています。。
ほんと、気をつけないと命に関わることなんだけどなぁ
浦宿の母の実家も、家の周りの石垣や塀が崩れていたけど、みんな無事でした◎
おばあさんも元気そうだったし、おじいさんも日曜日に退院したって。
ほんとに良かった!
そして、いよいよ町の様子を見に行くのです。。
家を出るとき、ちょっと覚悟したよ。歯を噛み締めてね。
写真では見ていたけど、まだ夢見たいに思えていたし。。。
うちの下の坂をちょっと下り、見えた風景に絶句。
女川が・・・



あんまりの光景で、異世界だったよ。
30年生きて来て、自分がどんだけ文明の発達したところで育ったのか、身にしみて分かったよ。
ここには何もなかったよ。
全部、全部、流されて、ぶち壊されて、奪われてしまったの。
私たちが育ってきた全ての思い出の場所は、一瞬で変わってしまったんだね。
すごく、すごく、悲しくて。
なのに、不思議と涙が出なかったよ。
悲しみの底にたどり着くと、涙って出ないんだね。。
なんか、空しさだけが残りました。
おんまえや。。

まきせん。。(石巻線)

この日は暴風警報が出ていて、砂ぼこりがひどく、歩くのもやっとでした。
こんな状況の中、作業してくれている自衛隊の方もたくさんいました。
本当にありがとう、そんな気持ちで彼らを見ていました。
マリンパルの上に掲げられた力強いメッセージ。

女川病院にも

佐々木写真館の前には

なんかね、瓦礫のなかに、光が見えるよね。
元気出さなきゃって思ったよ。
たくさんの方の命が奪われて、たくさんの人の大切な物を奪った津波の現実は、すごくすごく辛くて悲しいけど、踏ん張って、元気出して、女川を取り戻さなきゃいけないよね。
今見ている景色を、後世にも伝えていかないといけないよね。
そんな思いで、カメラのシャッターを切っていました。
忘れちゃいけない。
そんなこといいながら、実は半ベソかきながら歩いていた自分なんですが。
女川二小の坂の手前で、ガードレールをまたごうとしたら。
足がひっかかって、顔面から地面に落ちた!
一応、手は先についたけど、それでも顎を強打!!
顎から血がポタポタ垂れてました。。。
痛い、痛いよぉ。。何やってんだよ、わたし・・ほんと、どんくさい。
大事には至らなかったものの、お姉ちゃんに車で迎えに来てもらい、病院にいくか?ってなったけど、いやいや、こんなことで。ご迷惑かけれません。。
私の流血事件で、みんなの顔に笑顔が。
ほんとにドジだねぇ
バカだなぁ
と、散々言われました。。。
夜、余震があったけど、怖くて何度も起きました。
揺れよりも、音が怖い。地鳴りが、「ゴゴゴゴーッ!」って。
こんな思いを毎日するのかと思うと、本当にまいってしまう。
お母さんもお姉ちゃんも、心底疲れているんだろうなって心配する。
17日のお昼には帰路についたけど、家を出るとき、「また無事に帰って来れますように」と祈った。
なんでわざわざこんなに離れた場所に生活してるのか、今は疑問。
できるなら、東京をでて宮城に戻りたいところだけど。現実は厳しい。
また、ゴールデンウィークに来るからね。
女川の現状を目で見て、肌で感じて来た今。
次にできることを考えているところ。
ずっと離れていた故郷に、そろそろ恩返ししてもいい年頃になってきた今。
自分にできることをやっていきたいと思うよ。
とりあえず、震災当時からTwitterをやってます。
女川の情報とか発信できるように。
探してみてください。ayumissinguで。
とりあえず、私は元気!
家族に会えて、パワーをもらえたからね◎
くらくなっても仕方ないよね!頑張ろうっ!






