C'est la vie. -20ページ目

C'est la vie.

Every single day is different. Enjoying my life.

なんだかずっと日記を書けないでいました。
どうしようもないほど、負のスパイラルに陥ってしまってた。
震災があって、いろんなことを思っていたけど。
最近、震災前に悩んでいたこととかも一緒になって押し寄せて来て、
意味が分かんないくらい、悶え苦しんでいました。

でも、今やっと落ち着いてきた。
やけ酒したからかもしれない 笑
一人で呑んで、情熱大陸の東北楽天編を録画でもう一回見てたら、泣けて来た。
涙流したら、ちょっと落ち着いた。

GW、有給も使って、がっつり10日間女川に帰りました。
運良く交通渋滞もなく、すんなり女川入り。。

家に着いたのが夕方4時過ぎ。
5時半くらいに夕飯を食べて、団らん。
TVは専らニュースを見る。たまに音楽番組。スポーツ。
バラエティはほんのちょっと。

母と姉の中では、まだまだ情報が欲しいらしい。

ご飯を食べて後片付けを手伝い、茶の間に行くと、もう布団が敷いてあった。
え??まだ6時半だよ・・・??

震災後、食事は朝と夜の2回になっていた。
お昼という概念は薄れて、小腹が空いたらなんかつまむ。
なので、もともと早かった夕食の時間が、さらに早くなっていた。

夕飯を食べたらすぐにお風呂の時間。
容赦なく余震がくるので、明るいうちにいろいろ済ませておく、というのが暗黙のルール、習慣になっていた。

私もお風呂あがって、時刻は9時。
TV見るか、新聞見るか、ケータイいじるか・・・
時間は膨大にある気がした。その日は疲れていたのですぐ寝たけど。
10日もいたら、明日は何をしてすごそう・・・とお先真っ暗になる気がした。

私の家は、見た目は何ともないのだけど、意外と亀裂が多く、裏側の石垣も膨張して崩れかけてしまっている。
何回も巨大な地震があったので、家の中のガラス窓はひび割れてしまっていた。

津波で家を流されたり、浸水した方の被害に比べたらなんともない。
住めるし、直せば元通りになる。
いろいろと不満をもらす母も、最後にはこういって締めくくる。

それは大きな「我慢」であり、大きなストレスになっているんだと思う。

私から見れば、女川の家族は被災者だ。
津波から命からがら逃げて、ライフラインを断たれた生活を強いられ、職を失い、車も失い、家もあちこちダメージを受けている。直しても、また余震が来て崩れる。配管が破損したのか、水がしみ出ている。家電は落ちて使えなくなっている。余震が怖くて2階に行けない。

だけど、今回の震災の被害が膨大すぎて、家族は自分たちのことを「被災者」とは思っていない。
もっと大変な人がいるから、、、って。

結構な損壊だ、って思ったけど、判定は「一部損壊」。
まあ、仕方ないけど、なんか保険って詐欺みたいね、って思う部分もあったりした。
全然適用されないんだもん。。

地震保険に入っていなかったら、国からの補助もほんの一握りしかなかっただろうね。
こんな状況になってしまって、実際、生活は苦しいのだ。

でも、仕事があるわけじゃないし、家にいるしかなくて、どうしようもない。
だけど、やっぱり、家がある、家で生活できているということで、いろいろと除外されるんだ。
うちの周辺はまだ一日二回の配給がある。
パンやおにぎりや水。それだけでもとってもありがたいです。
だけど、いとこが住んでいる浦宿はもう配給が終りました。。。

震災から早2ヶ月。
有名な人もたくさん女川町に来てくれました。
原発のこともあって、すっかり女川って地名が有名になっちゃったよね。
炊き出しのボランティアさんもたくさん来てくれてるみたいです。

でも、みんな被災した風景を見て、避難所の皆さんを訪問して、帰られるんです。
来てくれるだけありがたいことです。素晴らしいと思います。

だけどね、こういう情報って、実際自宅にいる人たちにはわからない。。
同じ女川町のことなのに、翌日の新聞やニュースで知って、「わ!来たんだね!会いたかったよー!」ってなるんです。

私の家族やご近所さん、女川町でも旭が丘や浦宿地区など実際津波の被害がなかった地区のみんなも、この大震災の被災者なんだって、ほんの少し、わかって欲しいなって。贅沢かなぁ。

みんな、しんどいって言わないだけ。いっぱい我慢してるよ。
みんなも、有名な人にあって、元気もらいたいよ。

東京にいる私だから言えることだと思うの。
そんなみんなの思いを声を大にして叫びたい。

復興に向けて実際に動いて行くのは地元の皆さんなんだもの。
だから、地元のみんなに元気を出してほしい。
復興支援のあり方を、もう少し考えていかなきゃいけないんじゃないかな。って。
考える・・・

私のたくさんの同級生が家を失い、家族を失い、居場所をなくしてしまってる。
被災した家族を置いて、東京で頑張る子もいる。
そのこたちの気持ち考えたら、胸が痛くなる。涙でる。

一瞬で、何もかも奪っていった。
地震が、津波が、憎いよ。

自分の家族や家は無事だとわかった今も、あの日以降、心ここにあらずなんだ。
大好きな故郷が、無くなったことが、こんなにも辛いなんてね。

散々、女川を離れていたくせに薄情だよね。
失って、初めて気づく。
どんなときもあったかく迎えてくれる、私の故郷。
こんなにも大切だったんだね。

負のスパイラルから抜け出せてないので、とてつもなく暗い日記になっている気がする。
ほんとは女川でいろいろやったこと、楽しかったこととかあるのに。
それはまたにしておこう。

最後に、この震災でともに学んだ同級生が犠牲になりました。
あのお店のご主人も、あのおばちゃんも、あのおんちゃんも。
きっと、情報がないだけで、もっともっと知り合いの犠牲はいるんだと思います。
みなさんのご冥福をお祈りします。。

それと、もうひとつ。
もう取り返しつかないんだろうなっていう別れがあるよ。
いろいろ悩んだし、考えたけど。結局、ここまでかなって。
悲しいけど、もういいや。

明日は笑顔で過ごせますように!
昨日はすごく天気がよかった◎
朝は健康診断に行き、小川町から小伝馬町まで歩いて出社(^∇^)
爽やかだったなぁ!

なので、ランチは後輩と近くの公園に行った◎
お弁当買って、いざ食べるというとき、突然辺りが暗くなって強風が吹き出した。
さっきまでのお天気はどこへ⁉

建物の軒下に避難し、大雨の降る横でごはん。。
せっかく美味しそうなお弁当の内容をあまり覚えてない( ;´Д`)

あとでニュースで竜巻が発生と聞いてびっくり。
確かに、かなり急に積乱雲が押し寄せてきて、雷も鳴ったよ(>_<)

でもそのあとすぐに天気は元通りに。

今年は天災が多い。
まだまだ油断できない。
日本は大丈夫なのかなぁ……

ところで、実家に応急危険度判定士という調査団がきて、うちにこんな貼り紙を。

photo:01



うちのまわりのブロック塀はほぼ全壊だし、家の裏側の石垣が地盤沈下で歪んでいる。このまま後ろが崩れたら、家は傾くと言われた。。
ひぇー( ;´Д`)

女川で無傷の建物はないだろうけど、まさかこんな判定とはね(>_<)

もうすぐゴールデンウイーク。
今年は有給で穴埋めして長い休みをもらったんだ◎
あと二日働けば帰れる!そう思うから一日が長いあせる

美輪から、一緒にボランティア参加しないかとお誘い!
できることはなんでもしたいから頑張ろう!

とりあえず、バタバタの中、忘れかけてたプチお祝いをしに、下北沢行ってきます!



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昨日の夢にお父さんが出てきた。
私が会社に行こうと家を出て、服装が気に入らないから、一旦家に戻ると、なぜか鍵が空いていて、お父さんがいた。

しばらく会ってなかったから、「どこに行ってたの?」と聞いたら、そそくさと家を出てしまった。

追いかけようとしたけど、走っても走っても、前に進めなかった。



うちの父は私が19のときに他界。
昨日は父の誕生日でした。
朝の時点では覚えてたのに、誕生日ということをすっかり忘れてしまっていた夜。

きっと淋しかったんだな(^ ^)

今日、ケーキ食べよう◎

あと、すえひろのハンバーグを思い出したら無性に食べたくなってきたので、今日はハンバーグにしますドキドキ

あと一週間頑張ればまた女川帰れる!がんばろ。


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