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小学生のみんなぁ大学図書館で遊ぼーよー。゜(ρ>д<)。


マイケル・サンデル教授の特別講義「Justice」に出席してきた
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1009/16/news038.html
誠Biz.ID - 09月16日 18:43

 哲学の本としては異例の売れ行きである、『これからの「正義」の話をしよう』をご存じだろうか。筆者のマイケル・サンデル氏は政治哲学を専門とする学者であり、講義の名手として知られている。サンデル氏がハーバード大で担当している講義「Justice(正義)」は1万4000人を超す履修者を記録、あまりの人気ぶりにハーバード大では建学以来初めて講義を一般公開することを決定。その様子はテレビ放映されたほどだ。そのサンデル教授が8月末に来日し、 2回の特別講義を行った。筆者は幸運にも、8月27日に行われたアカデミーヒルズ タワーホール(六本木ヒルズ)での特別講義に参加することができたので、その様子を本記事でお伝えしようと思う。【吉岡綾乃,Business Media 誠】

サンデル教授の授業とはどのような内容なのか。そして、私たちが知っている大学の授業とどこが違うのだろうか?

●黒板もパワーポイントもない授業

 冒頭に登場した早川書房の早川浩社長によれば、通常、ハーバード大の授業には1200人もの学生が集まるという。アカデミーヒルズの定員はたったの500人なので、「いつもより親密な感じですね」ということだった。会場を見渡すと席はすべて埋まっている。「Justice」の講義はソクラテス型の対話方式で進むことが特徴と聞いていたのだが、500人の聴衆(以下、学生と記す)を相手に、果たして対話方式の授業は成り立つのだろうか。

 早川氏の紹介でマイケル・サンデル教授が登場すると、会場は大きな拍手に包まれた。意外に思ったのは、黒板もスライドもなし、という点だ。サンデル教授は壇上をぐるぐると歩き回りながら話をし、時々手を挙げた学生を当てて立たせ、学生と話し合うだけ。非常にシンプルなスタイルである。

 まず最初に、サンデル教授から今日の講義のテーマについて説明があった。今日の講義では大きく3つの思想について、2つのトピックを例に話を進めていくという。3つの思想とは、

・(1)幸福の最大化、最大幸福原理(功利主義的、ベンサムの哲学)
・(2)人間の自由や尊厳、選択の公平性について(カントの思想)
・(3)美徳を尊重し、よき生き方を培う(アリストテレス)

 という哲学である。そして2つのトピックについても、先に示されていた。1つめの例は「市場の果たす役割について」。そしてもう1つは「バイオテクノロジー、特に遺伝子工学にまつわる話題」である。

 『これからの「正義」の話をしよう』では、これら3つの思想についてそれぞれ第2章、第5章、第8章で語られている。本を読了している人であればすでにサンデル教授の基本的なスタンスは理解しているはずだし、そうでなくても、ベンサム、カント、アリストテレスがどういうことを考えていた人なのか、大まかに知っている人は多いだろう。

 聴講した感想からいうと、これらの思想を知っていたほうが――言うなれば“予習”していった方が――サンデル教授の授業をより深く理解できると思った。そう、この授業は新しいことを覚えるのではなく、すでに知識として知っていることを前提に、それを学生みんなに考えさせることを目的としている。これら(昔の)政治哲学を現代のさまざまな問題に照らしたときに、現代に生きる我々はどう考えるべきか? を対話していくのが授業のテーマなのだ。

●ダフ屋は許される職業か

 サンデル教授の授業の大きな特徴は、学生と対話しながら進んでいくことにある。サンデル教授は英語で話しているが、会場には同時通訳がいるので、学生は日本語で答えても英語で答えてもいいことになっている。学生が日本語で答えた場合は、同時通訳を通して対話が進んでいくことになる。

 まず1つ目のトピックである「市場」について、サンデル教授は非常に身近な例から話を始めた。

サンデル 「私は、(大リーグの)レッドソックスが大好きです。今年は残念ながら低迷していますが、数年前にはワールドシリーズに出ました。そのときはたくさんのダフ屋がいました。彼らはどこからか現れてチケットを仕入れ、市場の何倍もの、ものすごく高い値段で売ります。私はダフ屋は嫌いですよ。でも、ダフ屋という商売が成立しているのは事実です。野球だけではありませんね。例えばマドンナやマイケル・ジャクソンのコンサートに行きたいと思う人がいれば、ダフ屋は高い値段でそのチケットを売ります。買う人がいれば取引は成立します。ダフ屋がチケットを売るのは、正しいことだと思いますか? それとも売るべきではないでしょうか? 手を挙げてください」

●では医者は?

 生徒に挙手させると、ダフ屋がチケットを売ってもよいと考える人と、売るべきではないと考える人はほぼ半々。その結果を見て、サンデル教授は話を続ける。

サンデル 「ここに来る途中に聞いたのですが、今日のこの(アカデミーヒルズの聴講)チケットが、ネットオークションで売られていたそうですね! うわさでは5万円で売られていたと聞きましたよ。これには何か、いけないことがありますか?……もう少し真面目な例を挙げてみましょうか。春に私は中国に行きました。中国の大都市では、医師が不足していて、大きな病院の前には毎日長い行列ができます。これは医師に面会する順番を待つ行列で、時には数日前から並ぶ人もいます。ある人が、ホームレスを雇ってこの行列に並ばせました。ダフ屋は安い賃金をホームレスに払って行列に並ばせ、得た医師に会う権利を病人に利益を付けて売るのです」

 この行為についてどう思うか、サンデル教授は再び学生に手を挙げさせる。すると、賛成とした人はダフ屋のときよりずっと少なく、反対とした人が多かった。

 サンデル教授は、この行為を弁護する学生に手を挙げさせ、名前を名乗り意見を述べるよう促す。

ヨウスケ 「ヨウスケといいます。僕はこの行為は公正だと思います。まず、ダフ屋は最初にホームレスの賃金を払うなど、リスクを取っている。そしてそのチケットを買う人がいるということは、商売が成立しているということになります。だからこれは、公正な取引と言えます」

サンデル 「買い手と売り手、自由な合意が成り立って交換が成りたっているのだから、市場として公正であるという意見ですね。でも手を挙げた人数を見ると「そうではない、反対だ」という人のほうが多かったですね。反対の人、意見を言ってください」

キミコ 「キミコです。確かに、ダフ屋とお金を払ったお客の間では取引は成立しているということになります。でも、そのほかの人たち――例えば、貧しくてチケットを買えない人にとっては不公平ではないですか。チケットを買えない人、でも医者の診察が必要な人はどうしたら良いのでしょうか?」

サンデル 「キミコのこの意見について、ヨウスケはどう思いますか?」

ヨウスケ 「貧しい人も、長い時間行列に並べれば医者に診てもらえます。あるいは、少しのお金を払えばホームレスを雇えるかもしれない」

サンデル 「ヨウスケが言っているのは、つまり、選択の自由があるということですね。そこにこの価値があると。しかしキミコが言っているのは『貧しい人にはチケットを買うという権利がない』ということですよ?」

ヨウスケ 「貧しい人であっても、何か商売をしてお金を儲けられれば、チケットをもらえる機会はある。その点で公正だと考えます」

●扱うモノの“質”が違う

サンデル 「ヨウスケは『もっとお金を儲ければいいではないか』という意見ですね。キミコはどう思いますか?」

キミコ 「選択の自由という観点でいえば、これは公正ではないと私は思います。同じダフ屋といっても、コンサートやワールドシリーズのチケットと、医者に診察してもらう権利とでは、質が違います」

サンデル 「キミコは『質が違う』と言いました。新しい要素が入ってきましたね。今ここで取引されている財の重要性です」

キミコ 「命にかかわることは、全体的にすべての人が平等であるべきではないでしょうか。ダフ屋がチケットを売ることも良いこととは思わないですが、娯楽と医療とでは質が違うと思うんです」

 サンデル教授が「キミコ、つまりこの講義のチケットは娯楽と同じと言うことだね」と言うと、会場にどっと笑いが広がった。そのままサンデル教授は話を進めていく。

サンデル 「ヨウスケの意見、これは3つの哲学のうち、2つめに当たります。選択の自由、公平性ということです。キミコの意見も公平性についてですからやはり2つ目の公平性に当たりますが、解釈が違います。改めて考えてみましょう。『選択の自由とはなにか?』後段部分でキミコは違うことを言いました。人間の命に関わる根本的なところだから、娯楽とは分けて考えなくてはならない。扱われる財が何なのか、その性格を考えるべきだ、そう言いました」

 次にサンデル教授が挙げた例もやはり医療について、しかし今度は中国ではなく、米国の医者についての話題だ。米国でもやはり、医者に面会し、診断してもらうのにはとても時間がかかる。時には数週間前から予約を取らなくてはならないという。そこで米国では、「コンシェルジェ制度」という方式を採る医者が現れた。コンシェルジェドクターは、限られた人数しか見ない代わりに高い年会費を取る。治療にかかるお金とは別に毎年5000ドルの年会費を払ってくれる人に対しては、すぐに診察するし、携帯の番号も教えてあげる……という仕組みだという。

 「これは北京の問題とは違いますか?」と問いかけ、再びサンデル教授は学生に手を挙げさせる。すると、中国の病院の例のときよりも、「(コンシェルジェ制度は)よいことだ」とする人が多かった。

トモエ 「トモエです。米国には病院の選択肢がたくさんある。コンシェルジェドクターを選べない人でも、ほかの普通のドクターにならかかれる。人それぞれに選択ができるのだからいいと思います」

 もう1人指名した学生も、「『見てもらえる』ということに関しては平等な立場だからよい。5000ドルを払えない人も、時間をかければ見てもらうことができる」という意見だった。

●医師はもうけてはいけない職業なのか

 サンデル教授は、コンシェルジェ制度に反対とする意見を募る。ある女性はこう答えた。「中国と米国は豊かさが違うように思うかもしれませんが、格差の大きさでいけば似ています。まあ、日本も似てきていますが……。つまり、米国と中国とで大きな違いはないと考えます。医者はライセンスが必要なもの。命を扱う仕事は、公的なサービスを提供すべきです。医師や病院が儲けすぎてはいけないのではないでしょうか」

サンデル 「報酬を与えるのはいいことだが、医師は過大な報酬を受けるべきではないということですね。反対意見の人はいますか?」

ヒロシ 「ヒロシといいます。米国と中国の例は少し違うと思います。中国の場合と違い、米国では外に並んでいる人たちはいない。実際に並んでいる人たちが見えるのと、コンシェルジェドクターとは少し違うと思うのです」

●もし小飼弾さんが私立学校の校長だったら

 医療に続き、サンデル教授が例に挙げたのが「教育」だった。

サンデル 「ある私立の学校があるとします。非常に有名な学校で、入学するには非常に高い得点をとらなくてはならない学校です。ある裕福な親が、子どもをぜひこの学校に入れたいと思いました。でも、子どもはその得点に届かない。そこで親はあることを思いつきました。寄付をすることにしたのです。『2000万ドル寄付をしましょう。私の子どもを入れてくれたらね』と持ちかけたのです。この親のオファーを受けて、寄付を受ける代わりに得点に届かない子どもを入学させるのは正しいことでしょうか?」

 この質問に答えた次の“学生”は、ブログ「404 Blog Not Found」の書き手として知られる小飼弾さんだった。

ダン 「ダンといいます。私には本当に娘が2人いるのですけれど……私なら、寄付をしてぜひ自分の娘を入れたいですね! その学校の校長の立場に立ってみましょうか。2000万ドルの寄付があったら、定員数よりも、もっとたくさんの学生を入れられますよね。試験で入るはずだった人数は全部入れた上で、私の娘を入れればいい。そうすれば、代わりに落ちる子はいません。そして、寄付金を使って施設を増やしたり、良くしたり、新しく先生を雇ったり……寄付金のおかげでもっとよい教育ができるようになるでしょう? 誰も損はしない。むしろ得をするのだから、いい提案のはずですね」

サンデル 「ダンは面白い提案をしましたね。確かにそれなら、誰も自分の娘を入れたからと言って犠牲になる人はいない。これは正しくない、という人の意見を聞いてみましょう」

アキヒロ 「アキヒロです。私は反対です……寄付をすれば点が届かなくても入れる、そういうことにしてしまったら、それは、入れない生徒が出てくるということです」

サンデル 「それはダンは分かっていましたよ。ダンは先回りをして、2000万ドルのお金でもっと学生を取ればいいといいました」

アキヒロ 「それはそうですが……でも……うーん、学校の品格が落ちると思います」

サンデル 「どうでしょう、ダンは反対するでしょうね。だって奨学金を与えるのだから、貧しくて優秀な学生をとれるようになる。……ほかの人は?」

カン 「カンといいます。道義の問題だと思います。お金を払えば入れると言うことになれば、ルールを破ることになる」

サンデル 「ルールですね。ではどうでしょう、ダン校長の学校のルールは「普段は成績の良い生徒を入れる。だけどときどきは、それほど成績がよくなくても、お金がある人の子どもを入れる」というものなんです。寄付金をもらって生徒を入れても、ルールを破ったことにはなりませんよ?」

ヒロミ 「ヒロミです。アメリカは資本主義の世界なのだから、大学も資本主義になるのはある程度仕方ないことなのかもしれません。でも、学力をモノサシにして学校に入れるかどうかを決めるのは公平なことだと思うのです」

サンデル 「ある調査があります。年収が1200万~1500万円ある豊かな親を持つ学生グループと、親の年収が200万円以下の学生グループを比べると、豊かな親を持つ学生たちのほうが約30%学力がいいというのです。親が裕福かどうかで子どもの学力が決まっている、その学力で学校に入れるかどうかを決めるのは、すでに公平ではないと言えませんか?」

ヒロミ 「……その事実は認めます。それは公平ではないけれど事実です。でも、学校の入学をできるだけ純粋に学力に基づかせるということは、公平さを保つために必要で、守るべきことではないでしょうか?」

ジュンコ 「ジュンコといいます。基本的なことをまだ話していないと思います。それは、金(カネ)のことです。金が違いを生み出し、多くの問題を起こします。これはアンフェアだと思うのです。最初のチケットの例はいいと思うのです。私は、お金をどう使うかということが大事だと思うからです。お金を使った人が満足していればいい。しかし、教育のことや命のことは、お金以外でなんとかすべきことではないでしょうか。豊かさで何でも買えるということになったら……将来、金があれば延命できるようになるかもしれない、永遠に美を持たせることができるかもしれない。それはアンフェアではないでしょうか?」

 だいたい意見が出そろったと見て、まとめに入った。

サンデル 「今までの議論をまとめてみましょう。チケットなど娯楽については、あまり反対がいないようでした。市場が成り立ってさえいればいい、と。逆に医療は反対する人が多かった。教育はその中間に位置するようでした。医療など、命や人間の繁栄に関わることは、市場で売買することを何でもよしとしてはいけないということですね」

●男女の産み分けは許されるか?

サンデル 「それでは、もう1つのテーマに移りましょう。男女の産み分けができるようになってきました。不妊治療の一環で、スクリーニングができるようになったのです。ほとんど100%、男の子も女の子も望んだ子どもを生めるようになったのです。みなさん、これは間違っていると思いますか?」

ゴーヘイ 「ゴーヘイです。僕は、産み分けは間違っていると思います。親は生まれるまで(子どもの性別を)知らなくていい。赤ちゃんが生まれてきたときに、男の子だ、女の子だと驚くべきじゃないでしょうか」

サンデル 「なるほど、ゴーヘイは驚きたいんですね(笑)。でもねゴーヘイ、産み分けたいと願う人はたくさんいるんですよ。男の子しか欲しくない、女の子しか欲しくない、そういう人はたくさんいます。それでもなぜ産み分けはいけないと思うのでしょうか?」

 次に答えた人は、親それぞれではなく社会全体に着目して発言していた。男女の産み分けを認めるのは、個人にとっては良いかもしれないが、全体で考えるととても恐ろしいことである。例えば男性ばかり生ませて軍隊を作ったり、女性ばかり生ませて組織的に売春をさせたり……もしそんな社会が実現したとしたら、それはとても恐ろしいことだ、という意見だ。

サンデル 「自分に子どもができたときに、そこまで親は考えるでしょうか? では、法律によって禁止するというのはどうでしょう?「男ばかり生ませて軍隊を作ったり、女ばかり生ませて売春婦にしたりしてはいけない」という法律を作って禁じるのです。それならそんな社会にはならないし、実際には、男の子を欲しい人も女の子を欲しい人もいるでしょうから、そう極端なことにはならないでしょう。親が自由に選択できては、なぜいけないのでしょうか?」

エイジロウ 「エイジロウです。(産み分けを許せば)親の選択の自由は実現できているかもしれないが、胎児には自由がありません。男で生まれたいとか女で生まれたいとか、親が決めてしまったら、生まれてくる子供に選択の自由がなくなります」

サンデル 「エイジロウ、あなたは生まれてくるときに『男に生まれたい!』と願って生まれてきたの?(笑)ほかの意見も聞いてみましょう。誰かいますか?」

カメ 「カメタニといいます。医師です。男女の産み分けは、人間の世界でしてはいけない『殺す』につながります。男を望む、女を望む、ということになれば、そうではない場合は(胎児を)殺すことになります」

サンデル 「産み分けを超音波でする方法があります。多くの国では超音波を使って胎児の性別を見分け、望んでいない性別のばあいは中絶させてしまうということをしている。カメ、これが殺すという例ですか?」

カメ 「ええ」

サンデル 「ではもう1つ、中絶をしなくていい男女産み分けの方法があります。胚のスクリーニングをするのです。受精後、まだ胚の状態のときに(胎児にはなっていない)、男の子になる胚か女の子になる胚かを選びます。残りの胚は捨てるようにする、カメ、これも殺すということになりますか?」

カメ 「はい、そう思います」

サンデル 「では、違う産み分けの方法を紹介しましょう。男性の精子の段階で染色体をみて選別するのです。これだと胚を捨てたり殺したりしなくていい。これでも殺したことになりますか?」

カメ 「(ちょっと考えて)その意味では、殺したことにはなりませんね。ただ私の意見は……産み分けは、人間が性別を決めることは間違っているというという意見なのです。その信念から(染色体選別であっても)反対です」

 産み分けは悪いことばかりでもない、という意見もあった。例えば戦争や疫病の流行によって男ばかりの社会や女ばかりの社会になったときに、遺伝子工学を使って男女の比率を整えることが可能になるかもしれない、という考え方だ。

サンデル 「エイジロウ、あなたは自分で男になりたいと思って生まれてきたわけではないですよね?」

エイジロウ 「確かにそうです……でも、親が子どもを選べるのは、道徳的にいけないと思います」

●デザイナーベビーは、親の権利の濫用なのか

サンデル 「道徳という言葉が出ましたね。別の例を挙げて考えてみましょう。知能レベルが高い子ども、ハンサムな子ども、運動能力が高い子ども、音楽の才能がある子ども……将来、新しい遺伝子工学の発展によって、こういう能力がある子どもを生めるようになったらどうしますか? 親が子どもに高い知能や優れた運動能力、容姿を求める、それは自然なことです。親が子どもをコントロールすることは、どこまで許されるのでしょう? もし将来、親が遺伝子工学を使って、より知能の高い、よりハンサムな子どもを生むことができるようになったとしたら? これも親の権利の濫用になるのでしょうか」

ノブ 「ノブです。お金があれば、親がそういうことを選択できるのはいいことではないでしょうか」

サンデル 「さっきの公平性の話に戻りましたね」

 次の意見は「お金がある人だけ産み分けができて、ない人は産み分けができないとしたら、それはアンフェアだ」というものだった。それを聞いてサンデル教授はこう続ける。

サンデル 「ではこうしたらどうでしょう? 補助金制度を設けるのです。貧しい人には補助金を与えて、そういう産み分けができるようにするんです。それでも反対の人はいますか?」

レナ 「レナです。遺伝子工学のそういう考え方そのものがいけないと思います。親が子どもの将来を、生まれる前に決めてしまうんですよね? 私はいま、将来自分が何になるかを自分で決めることができる。その自由がなくなります」

サンデル 「なるほど。親が子どもの将来を決める、これは子どもの自由を損なうことになるでしょうか?」

タカフミ 「性別を判断していくことには反対です。子どもをどちらの性で生むかというのは、自己愛に沿った行為だと思うからです。デザイナーベビーは……知能を上げたり、運動神経が良い子どもを生むのも同じことです」

サンデル 「なぜ知能を上げて生むことはいけないのですか? 親が子どもをいい学校に入れたいと願う、もっと頭が良くなってほしいと考えて家庭教師を付ける……それはしてはいけないことではないですよね。ではなぜ、遺伝子工学でそれをしてはいけないのか? 頭がいい人が増えたら、もっといい社会になると思いませんか? 遺伝子工学で頭がいい子を産むのはいけなくて、入学試験に受かるよう親が望むのはいけなくない、これはなぜなのでしょうか?」

 ある人はこう答えた。「よりよい子どもを遺伝子技術でつくれるようになったら、多くの人がそれを望むでしょう。すると逆に、子どもに対して遺伝子技術を使わないということが、生まれる前から子どもにハンデを与えることになってしまう。それは最終的に、遺伝子工学で子どもの能力を高めるよう(すべての親に)強制することになりませんか?」

 またある人は“生まれる前”であることに着目した。「生まれる時点でそれを決定してしまうことが問題なのではないかと思います。生まれたあとで良い学校に行かせるのとは違う問題だと思うんです。でも……どうして違うんだろう……ええと、人間が“生まれる”ということに違いがあるのではないでしょうか。遺伝か環境か、という違いなのでは?」

●公正さや自由では結論できないものもある

 ここまでで、講義開始から2時間近くが経っていた。この記事ではできるかぎり学生の意見を載せているが、細かい部分はかなり省略し、整理したコメントに編集している。実際にはこれだけのやりとりにはかなり時間がかかるのだ。残り少ない時間で、サンデル教授は今まで出た意見を振り返りながら講義のまとめに入る。

サンデル 「議論に参加してくれた人たち、ありがとう。反対の人も、賛成した人もいましたね。『お金がない人はどうするんですか?』という人もいました。

 公正さがまたここでも話題になりました。“誰もが同じようにアクセスできなくてはならないものがあるのではないか”。これが公正さについての議論です。この話題は、医師についての議論でも出ました。あまりにも不平等だと選択の自由を害するのではないか、という考え方です。しかしもう一方で、チケット売買のように、公平さということが話題にならなかったケースもあります。

 それでは、子どもの産み分けのケースはどうでしょう? 親が性別を選んで子どもを生むのはいけないことなのか。この場合、子どもに、自分で性別を選んで生まれてくる自由があるわけではないですよね。……このように、自由や公正さでは結論が出ないことがあるのです。

 遺伝子操作のことを考えましょう。一部の人は『親がそういう能力を持ってはいけない』と考えていました。通常私たちは、あらゆる手を子どもに尽くしてあげる親、それが良い親だと思っています。しかし“良い親には節度が必要”ということも言えます。あまりにも子どもの人生をコントロールしすぎようとするのは良くない、という節度。これは美徳につながります。

 『親は驚くべきだ』と言っていた人がいましたね。ゴーヘイ。彼の言ったことはとても大切なことに引っかかっていました。人間はキャリアや経済などのなかで、(対象となるものを)強くコントロールをしようとします。しかし財によっては、我々が支配力(コントロール)を強くしすぎてはいけないものもあるのです。

 親になる、親であるということには、根本的に予測不可能なことが入ってきます。親が子どもを選ぶことはできない、(どんな子どもが生まれてくるか)予測不可能である……親になるということは、人間が生きていく中で数少ない、『予測不可能なことを受け入れること』『我々に与えられたことをそのまま受け入れること』が求められることでもあります。コントロールしよう、支配しようということ、そういう支配欲、権力欲を押さえて、あるがままを受け入れるということです。

でも、親と子の関係においては、欲を押さえる必要がある。これが美徳につながる。

 クルマを注文するときだったら、自分が望んだ構成になっていなかったら、怒って部品を交換してもらいますよね。でも、親になるということは違う。デザイナーベビーをつくるということは、親の野心につながるのです。このように、あるがままを受け入れるという美徳、これが最初に言った3つの哲学のポイントにどうつながってくるのでしょうか?

 同じように技術や原理を使っても、それがいい場合と悪い場合があるようでした。例えば、市場という原理は、マドンナのチケットには適用していいといえます。しかし、医療ということには適切でないという意見が多かったですね。医療に市場原理を適用することは、人間の尊厳を損なってしまうかもしれないからです。

 人間の善、美徳を尊重すべき――これはアリストテレスの考え方です。正義とは美徳であると言うこと。私たちは、この最後の点をよく見落としがちです。

 今日は、市場とテクノロジーについて議論しました。表面をなぞっただけですけれど、それでも難しかったですね。市場の道徳的な限界をどこに見るのか。技術の適切な利用の限界はどこにあるのか――これからますます問題になっていくと思います」

 サンデル教授がこう語り終えると、会場には大きな拍手がわき起こった。学生たちはみな立ち上がり、しばらくの間拍手が鳴り続けていた。

 大学の講義で、終わったあとに学生がスタンディングオベーション、というのは初めて見る光景である。なかなか鳴りやまない拍手を聞きながら、筆者が真っ先に抱いた感想は「面白かった!」だった。

 講義の時間は約2時間。その間、気がそれることも、飽きることもまったくなく、ずっと講義の内容に没頭していた。ほかの人たちも同様だったと思う。自分が大学時代に受けた大教室の講義を振り返っても、これほど“一体感”があった授業は思い出せない。しかしこの“一体感”が、一般的な大学の講義ともまた違うような気がしたのも事実だ。この違和感は何だろう?

 サンデル教授の授業の面白さとは、そして違和感とは何か? 実際に参加してみた筆者の感想は別記事(※)にまとめたので、併せてお読みいただければと思う。

 ※URL
 →http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1009/16/news040.html