文章を練習しよう!目指せ、清水義範!
うん、それ、無理。
by某朝倉風に
さてさて、意味があるかどうかはわからぬが、好きなことについて、3つ書かせて頂く。
1つ目(趣味)は読書です。
本でなくとも、(携帯の説明書は例外として)文章なら大抵なんでも読むのを楽しい。読むことは、食べるのと同様に、生きるのに必要なことだ。読んでいると、あっという間に時間が経ってしまう。
天国というものがあるのなら、それは私にとって本屋と図書館を意味する。
2つ目(興味のあること)は、政策を考えたり、政局を見ることです。
理想の世界、国、政策運営システムを考えるのはわくわくする。今の世の中では「誰にとっても良い世界、というのは、あくまでも理想でしかない」という風潮が「フツウ」だ。しかし、常識は時代によって変わる。
今世紀中に「今の世界」を「誰にとっても良い世界」にするのは不可能かもしれないが、来世紀…私の子どもか孫か曾孫の時代には「誰にとっても良い世界に変えられる!、と多くの人が信じ、変えていこうとする世界」にはできる。
その為に、今の政権政党・野党、政治家を目指す仲間の様子を見て、
「誰とどうすれば、私が生きているうちに、投票率の拡大とメディア・リテラシー、ディベートの通常化が図れるだろう?」と考え、話すのはとても楽しい。
3つ目(ただ単に好きなこと)は、物語を「描く」ことです。
…「描く」の意味は、図や絵、文にする、ということだけではなく、ただ頭の中で想像するだけのことも含みます。
本(フィクション・ノンフィクション問わず)を読むのと同じくらい、物語を想像するのが好きだ。好き(=好意を持つ)というよりは、気が付けば、頭の中で読んでいる。
自分(人)が知覚している現実というのは、あくまで一部分でしかない。(人が常日頃意識しているのは、視覚からの情報で、聴覚や嗅覚はあまり意識せず、無意識に切り捨てている)
そう認識し、知覚外の感覚を意識するようにすると、「飛ぶ」感覚を覚えることがある。
物語とは、「飛んだ先」の「泉」から湧き上がってくるような気がしてならない。物語を書く、というのは、その「泉」から「水」が自然に流れてくることを感じとり、言語化したものではないのか?
まだ、私は「水」を汲み取る(=人に伝え、共に味わう)ことはできない。けれど、「水」の流れを感じて生きているので、日常的に、頭の中で物語を想像することができる。これは、とても心地がいい。
大学のゼミ先輩から、ゼミOBOG総会の為にか、好きなものは?という質問を受けましたので書いてみました。
質問回答としてはですます調、内容はである調と、おかしな文になってしまいました。
先輩からの質問に対して答える際、全てですます調で答える方がよいのでしょうか?それとも、回答時の感覚を乗せやすいである調の方がよいのでしょうか?
どっちなんだろう?
σ( ̄ ̄;)
うん、それ、無理。
by某朝倉風に
さてさて、意味があるかどうかはわからぬが、好きなことについて、3つ書かせて頂く。
1つ目(趣味)は読書です。
本でなくとも、(携帯の説明書は例外として)文章なら大抵なんでも読むのを楽しい。読むことは、食べるのと同様に、生きるのに必要なことだ。読んでいると、あっという間に時間が経ってしまう。
天国というものがあるのなら、それは私にとって本屋と図書館を意味する。
2つ目(興味のあること)は、政策を考えたり、政局を見ることです。
理想の世界、国、政策運営システムを考えるのはわくわくする。今の世の中では「誰にとっても良い世界、というのは、あくまでも理想でしかない」という風潮が「フツウ」だ。しかし、常識は時代によって変わる。
今世紀中に「今の世界」を「誰にとっても良い世界」にするのは不可能かもしれないが、来世紀…私の子どもか孫か曾孫の時代には「誰にとっても良い世界に変えられる!、と多くの人が信じ、変えていこうとする世界」にはできる。
その為に、今の政権政党・野党、政治家を目指す仲間の様子を見て、
「誰とどうすれば、私が生きているうちに、投票率の拡大とメディア・リテラシー、ディベートの通常化が図れるだろう?」と考え、話すのはとても楽しい。
3つ目(ただ単に好きなこと)は、物語を「描く」ことです。
…「描く」の意味は、図や絵、文にする、ということだけではなく、ただ頭の中で想像するだけのことも含みます。
本(フィクション・ノンフィクション問わず)を読むのと同じくらい、物語を想像するのが好きだ。好き(=好意を持つ)というよりは、気が付けば、頭の中で読んでいる。
自分(人)が知覚している現実というのは、あくまで一部分でしかない。(人が常日頃意識しているのは、視覚からの情報で、聴覚や嗅覚はあまり意識せず、無意識に切り捨てている)
そう認識し、知覚外の感覚を意識するようにすると、「飛ぶ」感覚を覚えることがある。
物語とは、「飛んだ先」の「泉」から湧き上がってくるような気がしてならない。物語を書く、というのは、その「泉」から「水」が自然に流れてくることを感じとり、言語化したものではないのか?
まだ、私は「水」を汲み取る(=人に伝え、共に味わう)ことはできない。けれど、「水」の流れを感じて生きているので、日常的に、頭の中で物語を想像することができる。これは、とても心地がいい。
大学のゼミ先輩から、ゼミOBOG総会の為にか、好きなものは?という質問を受けましたので書いてみました。
質問回答としてはですます調、内容はである調と、おかしな文になってしまいました。
先輩からの質問に対して答える際、全てですます調で答える方がよいのでしょうか?それとも、回答時の感覚を乗せやすいである調の方がよいのでしょうか?
どっちなんだろう?
σ( ̄ ̄;)